ドゥブロヴニク (駆逐艦)
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「ドゥブロヴニク」(1933年撮影) | |
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | ヤーロー社造船所 |
| 起工 | 1930年6月10日 |
| 進水 | 1931年10月11日/12日 |
| 就役 | 1932年5月 |
| 退役 | |
| その後 | |
| 除籍 | |
| 前級 | |
| 次級 | ベオグラード級 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準1880トン(実際は2080t0ン)、常備2400トン(実際は2600トン)、満載2884トン[1] |
| 全長 | 113.2m[1] |
| 水線長 | 111.1m[1] |
| 幅 | 10.7m[1] |
| 吃水 | 3.6-4.1m[1] |
| 機関 | ヤーロー式水管缶3基、パーソンズ式ギヤード・タービン2基、4200-4800shp、カーチス式巡航タービン1基、900shp、2軸[2] |
| 速力 | 37.0ノット、最高速度40.3ノット[1] |
| 航続距離 | 15ノットで7000浬[1] |
| 乗員 | 240名(ドゥブロヴニク)、204名(プレムダ)、220名(TA32)[3] |
| 兵装 | 竣工時:シュコダ 14cm(56口径)単装速射砲4基 8.4cm(-口径)単装高角砲2基 4cm(39口径)単装機関砲6基 53.3cm三連装魚雷発射管2基 機雷40発 |
ドゥブロヴニク (クロアチア語: Kraljevski brod Dubrovnik:セルビア語: Краљевски брод Дубровник)はユーゴスラビア王国海軍の嚮導駆逐艦。
艦歴
1929年8月4日にヤーロー社へ発注され[4]、1930年6月10日起工[1]。1931年10月11日(12日[4])進水[1]。1932年5月就役[4]。初代艦長はArmin Pavić大佐であった[5]。
1933年秋、「ドゥブロヴニク」はルーマニア訪問中のユーゴスラビア国王アレクサンダル1世とマリアの帰国のためルーマニアへ派遣された[5]。10月3日にバルチクで国王と王妃を乗せ、それからブルガリアとイスタンブールを訪問し、10月8日に帰国した[5]。1934年10月6日、「ドゥブロヴニク」はフランスを訪問するアレクサンダル1世を乗せてコトル湾のZelenikaを出港[6]。10月9日にマルセイユに到着したが、その直後にアレクサンダル1世は暗殺されてしまい、「ドゥブロヴニク」はその遺体を乗せてユーゴスラビアに戻った[6]。
1935年8月、「ドゥブロヴニク」はコルフ島とビゼルトを訪問[7]。1937年、「ドゥブロヴニク」は水上機母艦「ズマイ」や潜水艦「Hrabri」、「スメリ」とともにピレウスを訪問し、続いて「ドゥブロヴニク」と「ズマイ」はイスタンブールも訪問した[8]。1937年8月に「ドゥブロヴニク」はイスタンブールとムドロス島およびピレウスを訪問した[9]、とも。
1941年4月6日、枢軸国軍によるユーゴスラビア侵攻が始まる。同日、「ドゥブロヴニク」はコトル湾でイタリア軍による空襲の際に2機を撃墜したが、4月17日のユーゴスラビアの降伏後にイタリア軍に接収された[6]。
イタリアは「ドゥブロヴニク」を「プレムダ (Premuda)」と改名した[10]。この名前は、第一次世界大戦中にイタリアの魚雷艇がオーストリア=ハンガリー帝国の戦艦「セント・イシュトヴァーン」を撃沈したプレムダ島にちなむものである[10]。「プレムダ」はブリンディジへ行き、兵装の変更などが行われた後、1942年1月に就役した[11]。
1943年7月17日にラ・スペツィア沖で深刻な機関の故障が発生[12]。ラ・スペツィアへ戻った「プレムダ」は、その後ジェノバへ曳航された[12]。修理に加えて、砲弾の不足を理由とする5.5インチのイタリアの5.3インチ砲への換装などもなされることとなったが、完了前にイタリアの降伏となり、1943年9月9日(8日[13])にジェノバでドイツに捕獲された[14]。
その後、ドイツの水雷艇「TA32」となり、1945年4月にジェノヴァで自沈した。
脚注
参考文献
- M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
- Zvonimir Freivogel, Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, Yugoslav Warships and their Fates Volume 1, Despot Infinitus, 2020, ISBN 978-953-8218-72-9
- Freivogel, Zvonimir (2014). “From Glasgow to Genoa under Three Flags – The Yugoslav Flotilla Leader Dubrovnik”. Voennyi Sbornik (Academic Publishing House Researcher) 4 (2): 83–88 2021年7月14日閲覧。.
- Jarman, Robert L., ed (1997). Yugoslavia Political Diaries 1918–1965. 2. Slough, Berkshire: Archives Edition. ISBN 978-1-85207-950-5