ドニー・ムーア

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生年月日 1954年2月13日
没年月日 (1989-07-18) 1989年7月18日(35歳没)
ドニー・ムーア
Donnie Moore
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ラボック
生年月日 1954年2月13日
没年月日 (1989-07-18) 1989年7月18日(35歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1973年 ドラフト1巡目(全体3位)
初出場 1975年9月14日
最終出場 1988年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ドニー・レイ・ムーアDonnie Ray Moore, 1954年2月13日 - 1989年7月18日)は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国テキサス州ラボック出身。

プロ入り~エンゼルス入団まで

1972年MLBドラフトボストン・レッドソックスから12巡目に指名を受けるが契約せず。1973年1月の二次ドラフトでシカゴ・カブスから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。1975年9月14日フィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。1978年はチーム最多でリーグ3位の71試合に登板し9勝を記録。しかし1979年は不振で10月17日にトレードでセントルイス・カージナルスに移籍。1980年は防御率6.23に終わり、1981年9月3日ミルウォーキー・ブルワーズに移籍するが、11月5日にカージナルスに復帰。1982年2月1日にトレードでアトランタ・ブレーブスに移籍し、同年チームは地区優勝を果たす。カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板し無失点に抑えたが、チームは3連敗で敗退。1984年はクローザーとして4勝5敗16セーブ・防御率2.94を記録。1985年1月24日フリーエージェントの補償選手としてカリフォルニア・エンゼルスに移籍。

エンゼルス時代

移籍1年目は前半戦で7勝17セーブ・防御率1.45の好成績で自身初のオールスターゲームに選出される。シーズン通算で8勝8敗31セーブ・防御率1.92を記録。チームは終盤カンザスシティ・ロイヤルズと熾烈な地区優勝争いを演じたが、1ゲーム差の2位に終わった。サイ・ヤング賞の投票で7位、MVPの投票では6位に入った。

1986年は4勝5敗21セーブ・防御率2.97を記録し、チームの4年ぶり地区優勝に貢献する。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは敵地で1勝1敗の後、本拠地に戻った第3戦でセーブを記録するも2失点を喫する。第4戦も勝利して3勝1敗となり、球団史上初のリーグ優勝に王手をかけて迎えた第5戦も5-2とリードして9回を迎える。しかし好投していた先発のマイク・ウィットが、元エンゼルスのドン・ベイラーに2点本塁打を浴びて1点差に詰め寄られ、代わったゲーリー・ルーカスリッチ・ゲドマンに死球を与える。この場面で登板してデーブ・ヘンダーソンを2ストライクと追い込み「後1球」まで迫るが、ファウルで粘られた末に2点本塁打を浴びて逆転を許し、セーブ失敗。9回裏に同点とし延長に持ち込むが、11回にヘンダーソンに決勝の犠牲フライを打たれて敗れ、敗戦投手となる。悪夢のような敗戦のショックを引き摺ったチームは敵地での第6・7戦で大敗し、ワールドシリーズ進出を逃した。

ファンから戦犯扱いを受け、1987年は登板の度にブーイングを浴び、また故障もあって不調に陥り14試合の登板に終わる。1988年1月22日にフリーエージェントとなるが、2月9日に再契約。しかし8月7日の登板を最後に、8月26日にエンゼルスを解雇された。

エンゼルス解雇後

エンゼルスを解雇された後は生活が荒み、経済的にも苦しむようになっていた。そして1989年7月18日に別居中の妻との口論の末、妻を銃撃した後に拳銃自殺を遂げた。35歳没。妻は命に別条はなかった。

詳細情報

関連項目

外部リンク

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