ドメニコ・パッシニャーノ
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フィレンツェ近郊のパッシニャーノ(現在はバルベリーノ・タヴァルネッレの一部)という村に生まれた。通称は生地の名に因んでいる。フィレンツェの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(Giovanni Battista Naldini)やジロラモ・マッキエッティ(Girolamo Macchietti)の弟子になった。フェデリコ・ツッカリ(1542/1543-1609)のもとでも働き、トスカーナの絵画スタイルを学んだ。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の1579年に完成したドームの壁画の制作にも参加した。1580年にツッカリと共にローマに招かれ、さらにツッカリと1581年から1589年の間はヴェネツィアに移り、ティントレットや、パルマ・イル・ジョーヴァネ、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、パオロ・ヴェロネーゼといったヴェネツィアの巨匠たちの作品から影響を受け、色鮮やかな作品を描くようになった[1]。
1589年にトスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチとクリスティーナ・ディ・ロレーナの結婚の宴の際にフィレンツェに戻り、その式典の装飾の準備に参加した。ほどなく、サン・マルコ寺院のサルヴィアーティ礼拝堂(Cappella Salviati)のくつかの壁画を描いた。1590年にはサン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会 (Chiesa di San Michele Visdomini) の装飾画を描いた。1594年のルッカのサン・マルティーノ大聖堂(Duomo di San Martino)に描いた作品でも知られている。ガリレオ・ガリレイやミケランジェロ・ブオナローティのような有名な人物肖像画も描いた。
1638年にフィレンツェで亡くなった。弟子にはファブリツィオ・ボスキ(Fabrizio Boschi)やマリオ・バラッシ(Mario Balassi)、チェーザレ・ダンディーニ、シモーネ・ピニョーニ(Simone Pignoni)らがいる。