ドメニコ・モンレオーネ
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ドメニコ・モンレオーネはジェノヴァ音楽院でバイオリンを学び、その後ミラノ音楽院でルイジ・マペッリに師事し、1895年に卒業した。同年ジェノヴァで指揮者としてデビュー、1901年までドイツ、オランダ、コンスタンティノープル、アテネ、ウィーンで、それ以降はイタリア国内で活動した。
父のレオナルド・モンレオーネ(Leonardo Monleone, ? - 1906)はジェノヴァ市立音楽学校(後のジェノヴァ音楽院)の教師で[1]、作曲家、指揮者、楽器販売、コンサート企画者など多才な音楽家としてジュゼッペ・ヴェルディから尊敬されたほどであった。弟のジョヴァンニ・モンレオーネ(Giovanni Monleone, 1879 - 1947)は詩人で[1]、ドメニコのオペラ作品の全ての台本を提供した。
もう一つの「カヴァレリア・ルスティカーナ 」
1903年、ソンゾーニョ音楽出版社主催の第4回一幕物のオペラ作曲コンクールに際し、1890年に開催された第2回の同コンクールで圧倒的な第1位を獲得したピエトロ・マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と同じジョヴァンニ・ヴェルガの原作に基づき、もう一つの「カヴァレリア・ルスティカーナ」を作曲、提出した。コンクール事務局は著作権に関して問題が提起されたため、これを失格とした。
オランダの興行主ミヒール・デ・ホント(Michiel De Hondt)が、この落選したモンレオーネの「カヴァレリア・ルスティカーナ」に興味を持ち、1907年にアムステルダム国民宮殿で初演した。この公演は成功を収め、同年フランス、ハンガリー、オーストリア、アテネ、コンスタンティノープル、ロンドンで合計25回公演された。この際、全ての公演はマスカーニとセットで(CAVA×CAVA)として上演された。また同年7月10日トリノのヴィットリオ・エマヌエーレ劇場、同月20日にはジェノヴァで再演され、それぞれ大成功を収めた。
ここでマスカーニとソンゾォーニョ出版社は、ヴェルガ、モンレオーネとミラノの出版社プッチョを著作権侵害で訴えた。結果はマスカーニの完勝で、モンレオーネの「カヴァレリア・ルスティカーナ」はこれ以降上演禁止となった。
モンレオーネは別の台本に、彼のカヴァレリア・ルスティカーナの音楽を改作、「ハヤブサの回転木馬」(La giostra dei falchi)として1914年フィレンツェで上演した[2]。
蘇演を巡る動き
モンレオーネの「カヴァレリア・ルスティカーナ」は上記の理由で長い間上演が禁止されていたが、1996年に著作権侵害の対象であるマスカーニの著作権が切れたことから蘇演されている。1997年アルバニアのティラナ放送交響楽団、2001年フランスのモンペイエ交響楽団、2006年ハンガリーのブダペスト春期音楽祭で、それぞれ演奏会形式で上演された[3]。
2024年5月5日 日本橋オペラが日本橋劇場に於いて日本初演(舞台上演)を行なった。演出・サントゥッツァ/福田祥子、指揮/佐々木修、ピアノ/追川礼章、トゥリッドゥ/村上敏明、アルフィオ/寺田功治、ヌンツィア/巌淵真理、ローラ/森井美貴、ブラジ/川ノ上 聡 [4]