パリの死刑執行人は仕事場であり住居であった処刑人の館と呼ばれる場所に住んでいたが、死刑執行人はこの周辺の市場から給料の代わりに一定の物品を入手する特権が与えられていた。二重取りをしないために、物品を受領した商店にはチョークで十字のマークが付けられた。パリの死刑執行人であるムッシュ・ド・パリはこの特権によって6万リーブル(当時の平均年収の100倍以上)を得ていた。
ただし、何でも取れたわけではなく、取ってはいけない相手から取ると訴えられて窃盗罪に問われることもあった。事実サンソン家初代当主シャルル・サンソン・ド・ロンヴァルの前任のムッシュ・ド・パリであったニコラ・ルヴァスールは、免税特権者から徴税したことが原因で罷免されている。
実際の徴収を行っていたのは処刑人本人ではなく、助手たちであった。現代でもフランス語の辞書で "bourreau"(処刑人)を引くと、用例として "Insolent comme un valet de bourreau, odieusement insolent."
(処刑の側用人のように横柄な、不愉快に横柄な)とあるのは、ドロア・ド・アヴァージュの特権を行使してピンはねを行っていた助手たちの行為に由来する。
この制度は国家にとって、国庫金に一切手をつけることなく家来に特権を与えることで使役するという、非常に都合のよいものだった。裏を返せば、私的に徴税を行う特権とも判断できるもので、市民の間では非常に評判が悪かった。特に、当時のパリ周辺では死刑執行人以外にもこのような私的徴税特権を持つものが多数いたため、何重にも課税されているに等しい状態になっていた。たびたびトラブルを起こすこともあり、当時の商人たちは死刑執行人からの徴発に会わないように苦労したと言う。
あまりの評判の悪さから、1721年から給料制へ切り替えられ、1775年に完全廃止された。