ナイン・オールドメン
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ナイン・オールドメン(Nine Old Men)は、かつてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに在籍していた9人のアニメーターの通称[1]。黎明期である1920年代から1980年代までの間にかけて、スタジオを支えたアニメーターの中でも取り分けて中心的な動きを果たした“伝説的”とも呼ばれるアニメーターの集団であり[2]、1950年代初頭にウォルト・ディズニーによって名付られた。
1970年代までには世界のアニメーション業界で広く知られる存在となり[3]、1989年には全員がディズニー・レジェンドに認定されたほか、アニメーション芸術への生涯またはキャリアの貢献に対しウィンザー・マッケイ賞を受賞した。
由来
その愛称は、フランクリン・ルーズベルト大統領に批判をしたとされる9人の合衆国最高裁判所の高齢判事の通称に由来する。
1940年代後半、第二次世界大戦後で財政面をはじめとする多くの問題に直面していたディズニーは、コスト削減を中心に様々な話し合いを行うためアニメーション部門に委員会(幹部会)を設立した。人数は定期的に変動していたが、1950年代初頭のある日、偶然メンバーを見たウォルト・ディズニーは、この9人のアニメーターで構成されていることに気づいた。これにウォルトは、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策に批判的であった当時の最高裁判事9人を激しく攻撃した1936年のベストセラー書籍『ナイン・オールド・メン(The Nine Old Men)』を冗談めかして引用し「ナイン・オールドメン」と呼び、これがそのまま由来となった[4]。なお、この時メンバーの大半は30代であり、決して「オールドメン」ではなかった。
歴史
9人全員は1920年代から1930年代にウォルト・ディズニーによって雇われ、短編・長編問わず作品に携わり『白雪姫』(1937年)の時点で全員がスタジオに在籍していた。
1950年代初頭にウォルトがこの愛称を付けた後、会社の仕事が多様化するにつれて、ウォルトはアニメーションの分野で彼らにますます多くの仕事を委任するようになった。全員が何らかの作品でアニメーション監督を務めた。
1976年、メンバーの一人であるジョン・ラウンズベリーが現役のまま死去。残されたメンバーは「自分達はいつまでも一緒にいることはできない」ということを痛感したという。その後はメンバーの引退が相次ぎ、1980年にウォルフガング・ライザーマンが引退したことで、全員がディズニーから退社した[2]。最終的に、エリック・ラーソンが一時復帰し『オリビアちゃんの大冒険』(1986年)のアニメーション監督を務めたのを最後に全員が引退した[5][6]。
グループの最後の生存メンバーは、2008年に亡くなったオリー・ジョンストンとなった。
メンバー
| 氏名 | 生年月日 | 没年月日 | 入社 | 退社 |
|---|---|---|---|---|
| レス・クラーク Les Clark | 1907年11月17日 | 1979年9月12日 | 1927年 | 1975年 |
| ウォルフガング・ライザーマン Wolfgang “Woolie” Reitherman | 1909年6月26日 | 1985年5月22日 | 1933年 | 1981年 |
| エリック・ラーソン Eric Larson | 1905年9月3日 | 1988年10月25日 | 1933年 | 1975年 |
| ウォード・キンボール Ward Walrath Kimball | 1914年3月4日 | 2002年7月8日 | 1934年 | 1974年 |
| ミルト・カール Milt Kahl | 1909年3月22日 | 1987年4月19日 | 1934年 | 1976年 |
| フランク・トーマス Franklin “Frank” Thomas | 1912年9月5日 | 2004年9月8日 | 1934年 | 1978年 |
| オリー・ジョンストン Oliver Martin Johnston Jr. | 1912年10月31日 | 2008年4月14日 | 1935年 | 1978年 |
| ジョン・ラウンズベリー John Lounsbery | 1911年3月9日 | 1976年2月13日 | 1935年 | N/A |
| マーク・デイヴィス Marc Fraser Davis | 1913年3月30日 | 2000年1月12日 | 1935年 | 1978年 |
参加作品
影響
「ディズニーのナイン・オールドメン」というフレーズは、1970年代までに世界のアニメーション業界で広く知られるようになっていた。
『美女と野獣』(1991年)や『アラジン』(1992年)でアニメーション監督を務めたアンドレアス・デジャによると、美術学生だった頃には既にこのフレーズを耳にしており、「書籍や雑誌の記事からこのエリートアニメーター集団の名前を知っていた」という[3]。なお、デジャはディズニー・スタジオ入社後に当時存命だった7人全員と交友関係を持つという幸運に恵まれている[7] 。
1981年、引退したジョンストンとトーマスは『ディズニー・アニメーション 生命を吹き込む魔法』という本を出版した。この本はアニメーションの12の基本原則を提示し原画や解説図など1000点以上のイラストを収め、ディズニーが生み出したアニメーション技術を後世に伝える資料として役立っているほか、専門家現代のアニメーターやクリエイターにとっても必須の教本となっている。
『NEMO/ニモ』の製作時、ジョンストンとトーマスは高畑勲と大塚康生と出会い日本にもディズニーの製作技法を教えており、この縁から『ディズニー・アニメーション 生命を吹き込む魔法』日本語版の監修は高畑と大塚が担当した。
9人には弟子や教え子がおり、グレン・キーンをはじめ、その思想や技術は現在のディズニー作品にも引き継がれている。
逸話
- ファイアハウス・ファイブ・プラス・トゥーというバンドを組んでいたことがある。
- メンバー全員がアニメーション監督として一緒に手がけた作品は唯一『ピーター・パン』だけである。
- メンバーであるウォルフガングは唯一、長編アニメーション監督の経験がある人物として有名だが、監督として携わった作品には同じメンバーのオリー、フランク、ミルト、ジョンをアニメーション監督として起用することが多く、そのため、今までに公開されてきた作品と違和感を覚えることなく見ることができる。また、必ずといっていいほど彼が手がけた作品のなかでダンスシーンでは先に発表されてきたシーンを彷彿とさせるものが多く、『ロビン・フッド』の作中では、『ジャングル・ブック』『白雪姫』『おしゃれキャット』の3作品と同じシーンが出てくる。これはコストを抑えるためにウォルフガングが自発的に始めたらしい。