アメリカ陸軍は、ラオス・ベトナム国境に走るホーチミン・ルート経由でベトナムに入国してくる共産ゲリラを阻害するため、南ベトナム北部のトゥアティエン=フエ省ナムドン県(承天化省南東県)に有刺鉄線とブービートラップで囲まれた前哨基地を設置していた。
1964年7月5日の夜、グリーンベレー第5特殊部隊群分遣隊チームA-726の隊員たちは、ナム・ドン基地周辺で小競り合いが起きる事を予感していた。これは確かな情報があった訳ではなく、あくまで隊員間での直感だったが、隊長のロジャー・ドンラン大尉(当時)は、ゲリラの襲撃に備えるよう、部下に命じた。その数時間後、隊長の直感が正しかったことが証明されることとなった。
日付が変わり、6日の午前2時すぎ、北ベトナム軍がナム・ドン基地に向けて迫撃砲と重機関銃で攻撃を開始した。当時は基地にグリーンベレー隊員が12名、モンタニヤード(ベトナム中央高地少数民族)の民間不正規戦グループ(CIDG)が約300名、その他60名が所在した。北ベトナム軍は、約900名である。
戦闘が始まると、グリーンベレー隊員と民兵は物陰に隠れた。絶え間ない北ベトナムの砲撃が基地内に降り注いでいた。この砲撃で隊長のドンランは2度負傷した。1度目の砲撃では宙に投げ出され、2回目は砲弾が彼の近くで炸裂した。しかし、彼はそれでもなお、陣地内を駆け巡り、部下に指示を出し続け、興奮を促し士気を高めた。
ナム・ドンに駐留する部隊は、幾度もの北ベトナムによる攻撃に耐え続け、撃退していった。この際、数名のアメリカ兵と南ベトナム兵が犠牲となった。ドンランは、負傷しながらも指揮を執り続け、負傷者が出るたびに駆け寄り治療を行った。
夜が明けると、北ベトナムの攻撃も散発的となり、午前7時頃に、アメリカ軍の増援部隊(ヘリ28機、およそ93名)が到着。北ベトナム軍は退却した。
ついに数で負けるナム・ドン駐留部隊は勝利したが、チームA-726隊員3名、オーストラリア軍兵士が1名、南ベトナム民兵が55名が戦死。負傷は65名だった。