ナラム・シン

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ナラム・シン
アッカド
ルルビ族に対する勝利を記念したナラム・シンの戦勝記念碑
角をつけた冠が神格化されていることを示す
在位 紀元前2254頃 - 紀元前2218年

子女 シャル・カリ・シャッリ
父親 マニシュトゥシュ
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ナラム・シンNaram Sin、在位:紀元前2254頃 - 紀元前2218年頃)は、アッカド王朝の大王。大規模な遠征を繰り返しアッカド帝国の最大版図を築いたが、王朝が傾く原因をも作ったと後世みなされた。祖父のサルゴンと並んで、アッカド帝国史上最も有名な王であり、後代に数多くの伝説が作られた[1]。またメソポタミア史上初めて自らをとした王でもある。

紀元前2254年 - 紀元前2218年という在位年は中年代説による。ナラム・シンはアッカドの王の中では史料に恵まれた王であるが、正確な在位年数を含めて定説はない状態であり、学者によって数十年から百年もの時期のずれがある(中年代説については年代学を参照)。

来歴

マニシュトゥシュの息子として生まれた。王位に即くまでの経緯は明らかではないが、サルゴン以上に盛んに遠征を行ったことが史料から明らかになっている。祖父サルゴンが征服した領土は、ナラム・シンの即位直後にはその多くが失われていたという説もある。しかし、彼はその治世の間にエラム地方や、アナトリア半島南東部、地中海地方(エブラ)に遠征を行ってアムル人を討ち、サルゴンを上回るアッカド史上最大の領土を築き上げた。彼が行った遠征は考古学史料が比較的残っており、サルゴンの遠征に比較して実証性が高い。こうした遠征を行うために国内各地に要塞を建築し、連絡網を築いた。

しかし、大幅に拡大した領土では反乱が相次いだ。記録によれば、領土各地で反乱が発生したために1年間に9回の戦闘を行ったという。この「1年間に9回の戦闘を行った」反乱は、恐らくシュメールなど帝国の中核地帯で発生した反乱と思われる。ナラム・シンは、この反乱の鎮圧成功を高らかに謳い上げ、以後碑文などに記す自分の名前に神を意味する発音しない限定符「ディンギル」を付けるようになる。

彼の死後、息子のシャル・カリ・シャッリが王位を継いだ。

四方領域の王

ナラム・シン伝説

脚注

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