ニコライ・ネヴレフ
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モスクワの商人の息子に生まれた。幼少期に父を亡くし、法律事務所で働きながら教育を受け、母親が再婚した美術教師から絵を学んだ後、21歳になった1851年ころに、モスクワ絵画・彫刻・建築学校に入学し、イタリア系の画家ミハイル・スコッティ (Mikhail Scotti)のもとで学び[2]、1855年に卒業した。同時期の学生にはヴァシリー・ペロフ(1834-1882)やコンスタンチン・マコフスキー(1839- 1915)がいた。モスクワに住み、肖像画を描いていたが、風景画を描いた後、1870年代半ばになってロシアの歴史を題材に描くようになった。
1881年に巡回美術展協会(移動派)に加入した。1887年にモスクワ絵画・彫刻・建築学校の教師となり、1890年までその仕事を続けた[2]。晩年、現ベラルーシのリスコフシュチナ(Lyskaǔščyna)に移ったが、そこで経済的な困窮に陥り、拳銃自殺したとされる[2]。