ニーマー・ユーシージ
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1896年イラン北部マーザンダラーン地方のヌーシュに生まれる。本名はアリー・エスファンディヤーリー[2]。彼の父であるエブラーヒームハーン・アッザーモッソルタネはマーザンダラーンの古い家系の出身で、農業と牧畜業で生計を立てていた[3]。
幼少期は伝統的な学校マクタブで教育を受けたが、12歳の時テヘランのミッション系スクールに入学し教育を受けた。学校では引っ込み思案な少年であった[3]。
1932年に新体詩のマニフェストと称されるロマン主義詩「アフサーネ」を発表した。その後1938年に発表した「不死鳥」により、独自の自由韻律詩形を完成させ、後に社会象徴主義と呼ばれた表現スタイルを確立する[2]。
財務省での勤務や高校教員も経験したが、後半生は教員であった妻に頼って生活した[1]。
1960年1月、テヘラン北部のシェミランにて肺炎で死去。彼が望んだ通り、遺体はユーシュという彼の故郷に葬られた[4]。