ネアーン卿
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スコットランド民事控訴院院長を務めた判事ロバート・ネアーン(1600-1683)は1681年1月27日にスコットランド貴族としてネアーン卿(Lord Nairne)に叙された[1][2]。彼には一人娘のマーガレット(1669-?)があるのみであったため、爵位は娘婿ウィリアム・マレー[註釈 1]を継承者に加えた特別継承権を帯びており、初代卿ののちは彼が卿位を相続した[1]。
2代卿ウィリアム(1665頃-1726)はジャコバイトであり1715年ジャコバイト蜂起に参加したのち、プレストンの戦いに敗れて捕虜となり、翌年には私権剥奪を受けた[3]。
その息子ジョン(1691-1770)も父同様にジャコバイトとして1715年ジャコバイト蜂起及び1745年ジャコバイト蜂起に参加して、度々私権剥奪を蒙った[4]。
その孫にあたるウィリアム(1757-1830)の代に、1824年1月17日の議会法によって父祖に対する私権剥奪処分の撤回とネアーン卿位の回復が認められた[1]。
しかし、彼の息子である6代卿ウィリアム(1808-1837)が未婚のまま死去したため、ネアーン卿位は2代卿ウィリアムの玄孫にまで遡って、フラオー伯爵夫人マーガレット・マーサー・エルフィンストンが継承した[4]。
7代女卿マーガレット(1788-1867)は、フランス外相タレーランの子である将軍シャルル・ド・フラオーと結婚していたほか、父からも爵位を相続していたためキース女男爵位も併せて保持していた[註釈 2]。ただし、彼女がその生涯で卿位を主張することはなかった[3]。(→以前の歴史はキース男爵を参照)
その長女エミリー(1819-1895)はネアーン卿位の保持者である旨を主張して、1874年に貴族院よりこれを認められている[1]。なお、彼女はランズダウン侯爵家に嫁いだため、卿位はさらに同侯爵家へと流出した。
その後、3代にわたってペティ=フィッツモーリス家が卿位を保持したが、11代卿チャールズ・ペティ=フィッツモーリス(1917-1944)が第二次世界大戦で男子のないまま戦死すると、卿位はその姉キャサリンが相続した[6][7]。(→以降の歴史はランズダウン侯爵を参照。)
12代女卿キャサリン(1912-1995)は第3代マージー子爵エドワード・ビガムと結婚したため、ネアーン卿はマージー子爵家の従属爵位となり現在に至っている[1][8]。(→以降の歴史はマージー子爵を参照。)
ネアーン卿(1681年)
- 初代ネアーン卿ロバート・ネアーン (1620頃–1683)
- 第2代ネアーン卿ウィリアム・マレー(1664–1726)(1716年私権剥奪処分・爵位褫奪)
- 第3代ネアーン卿ジョン・ネアーン(1691-1770)
- 第4代ネアーン卿ジョン・ネアーン (?-1782)
- 第5代ネアーン卿ウィリアム・マレー・ネアーン (1757-1830)(1824年爵位回復)
- 第6代ネアーン卿ウィリアム・マレー・ネアーン (1808–1837)
- 第7代ネアーン女卿(第2代キース女男爵)マーガレット・マーサー・エルフィンストン (1788–1867)
- 第8代ネアーン女卿(ランズダウン侯爵夫人)エミリー・ジェーン・ペティ=フィッツモーリス (1819-1895)
- 第9代ネアーン卿(第5代ランズダウン侯爵)ヘンリー・チャールズ・キース・ペティ=フィッツモーリス (1845–1927)
- 第10代ネアーン卿(第6代ランズダウン侯爵)ヘンリー・ウィリアム・エドマンド・ペティ=フィッツモーリス (1872-1936)
- 第11代ネアーン卿(第7代ランズダウン侯爵)チャールズ・ペティ=フィッツモーリス (1917–1944)
- 第12代ネアーン女卿(マージー子爵夫人)キャサリン・イヴリン・コンスタンス・ビガム (1912–1995)
- 第13代ネアーン卿(第4代マージー子爵)リチャード・モーリス・クライヴ・ビガム (1934–2006)
- 第14代ネアーン卿(第5代マージー子爵)エドワード・ジョン・ヘイラム・ビガム (1966-)
卿位の法定推定相続人は、現当主の娘であるミストレス・オブ・ネアーン(儀礼称号) フローラ・ダイアナ・ジョアン・ビガム (2003‐ )[1]。

