ノウァ・ローマ
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326年[2]から330年にかけて、コンスタンティヌス1世はローマに習いビザンティウムを根本的に作り替えた。この都市は、「新たな第二のローマ」(ἡ Νέα, δευτέρα Ῥώμη)[注 3]、「アルマ・ローマ」(Ἄλμα Ῥώμα)、「ビュザンティアース・ローマ」(Βυζαντιάς Ῥώμη)、「東のローマ」(ἑῴα Ῥώμη)、「コンスタンティヌスの街ローマ」(Roma Constantinopolitana)などと呼ばれた[5]。
ノウァ・ローマすなわち「新しいローマ」という名は、285年にディオクレティアヌスがこの町を東の帝国の首都に定めて以降、ローマに続く第二の首都となったことに由来する。現在でも、この名はギリシア正教会のコンスタンディーヌポリ全地総主教の正式名称の一部として残っている[6][7]。