事故はニューヨーク・アンド・ニューヘイブン鉄道(英語版)のロングアイランド湾の小さな入江を渡る旋回橋(現存)で発生した。この橋のニューヨーク側には急カーブがあるため、柱の上に取り付けた赤いボールを高い位置に上げること(ボール信号機が進行を現示)で、橋を通行できることを示していた。
ニューヨーク発ボストン行き急行(荷物車2両+客車5両)は乗客200人をのせてニューヨークを午前8時00分(現地時間)に出発した。この列車は代理の運転士が運転しており、このルートを通る3回目の乗務だった。当時、橋は蒸気船パシフィック(英語版)が通過した直後で開いていた(入江を通航する船舶が通れる状態)。運転士は橋へ接近中、信号の確認を怠り、400フィートほど手前で橋が開いていることに気づいた。運転手はブレーキをかけ、逆転機を後進に入れたが間に合わず、列車は橋から転落した。運転手と火夫は衝突直前に機関車から飛び降り重傷を免れた。機関車は60フィートの間を飛び越え、軌道より8フィート下にある反対側の橋台に激突し、12フィートの水中に沈んだ。後続する荷物車は機関車に乗り上げる形で停止した。先頭の客車は荷物車に追突し、2両目の客車に乗り上げられる形で水没した。3両目の客車は前後に引き裂かれ、前部は橋脚の端にぶら下がり、後部は軌道上に残った。それより後ろの客車は軌道上に留まっていた。48人が死亡し、30人が負傷したが、そのほとんどは先頭の客車に乗っていた。さらに8人が行方不明であると報じられた。
列車にはニューヨークで開かれた米国医師会の第6回年次総会から帰る多くの医師が乗っており、そのうちの7人が死亡した。無傷の生存者の中にはハートフォード・クーラント(英語版)紙にこの事故についての記述を書いたガードン・ワズワース・ラッセル医師 (Dr. Gurdon Wadsworth Russell) がいた。彼はこの記述の中で死者について、「溺れたことによる窒息の症状すべてを呈しており、おそらくは一瞬にして溺れたのだろう、そして破壊された車両に閉じ込められ、押しつぶされた状態であった。なんて憂鬱な光景なんだ。 ("presented all the symptoms of asphyxia from drowning, and were probably drowned at once, being confined and pressed by broken cars. Oh, what a melancholy scene that!")」 と記している。
またアメリカを旅行中だったドイツ・バプテスト教会創始者のヨハン・ゲルハルト・オンケン(ドイツ語版)も生存者の一人である。