ノーマン・カーク From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 (1923-01-06) 1923年1月6日出生地 ニュージーランド、ワイマテ没年月日 (1974-08-31) 1974年8月31日(51歳没)所属政党 ニュージーランド労働党 ニュージーランドの政治家ノーマン・カークNorman Kirk 生年月日 (1923-01-06) 1923年1月6日出生地 ニュージーランド、ワイマテ没年月日 (1974-08-31) 1974年8月31日(51歳没)所属政党 ニュージーランド労働党 第29代首相内閣 カーク内閣在任期間 1972年12月8日 - 1974年8月31日 第6代 ニュージーランド労働党党首在任期間 1965年 - 1974年テンプレートを表示 ノーマン・エリック・カーク(Norman Eric Kirk、1923年1月6日 - 1974年8月31日)は、ニュージーランドの政治家。第29代首相。 政治家になるまで ワイマテ生まれ。学業が思わしくなく13歳で学校を卒業後、鉄道職員などを務める。地理と歴史に興味を持ち、図書館に通い独学する。カークの地理と歴史に対する興味はその後、国際問題、外交問題への関心につながる。1941年に兵役に就くも、健康状態が思わしくなく、その後いくつかの職に就く。 20歳で結婚し、その後5人の子どもをもうける。同年ニュージーランド労働党へ入党し、労働党のカイアポイ事務所に勤める。自宅を自ら建て、井戸も自力で掘った。カークの建てた家は現存し、地元の名所でもある。1953年にカイアポイ市長に当選し、ニュージーランドの最年少市長となる。1957年にリトルトン地区から出馬し国会議員になる。労働党内で次第に影響力を強め、1963年に副党首、1964年に党首に就任する。1972年の総選挙で勝利し、第29代首相に就任する。 首相就任後 首相就任後はとりわけ外交問題に尽力し、アジア諸国とアフリカ諸国との連携に力を発揮した。1972年にフランスによる大気圏内核実験に反対し、ニュージーランドとオーストラリアは国際司法裁判所へ提訴する。1973年には南太平洋のムルロア環礁へニュージーランド海軍の艦船を派遣し、核実験に対する抗議行動を起こす。また、南アフリカ共和国のアパルトヘイトに反対し、南アフリカのラグビーチーム訪問を拒否した。 1974年ごろから心臓に病をもち、休暇をとるようになるも仕事量は落とさなかった。同年8月下旬に病状が悪化し入院するも、その3日後に死去する。同年9月6日に国葬が執り行われる。ノーマンの死後、ヒュー・ワットが代理首相に就任した。 先代ジャック・マーシャル ニュージーランドの首相1972年12月8日 - 1974年8月31日 次代ビル・ローリング 先代アーノルド・ノードメイヤー ニュージーランド労働党党首1965年12月16日 - 1974年8月31日 次代ビル・ローリング 表話編歴ニュージーランドの首相 シーウェル(英語版) フォックス(英語版) スタッフォード(英語版) ドメット(英語版) ウィテカー(英語版) ウエルド(英語版) ウォーターハウス(英語版) ボーゲル(英語版) ポーレン(英語版) アトキンソン(英語版) グレイ(英語版) ホール(英語版) ストウト(英語版) バランス(英語版) セドン(英語版) ホール=ジョーンズ(英語版) ワード(英語版) マッケンジー(英語版) マッセー(英語版) ベル(英語版) コーツ(英語版) フォーブス(英語版) サヴィッジ(英語版) フレーサー(英語版) ホランド(英語版) ホリヨーク(英語版) ナッシュ マーシャル(英語版) カーク ワット(英語版) (代行) ローリング マルドゥーン ロンギ パルマー ムーア ボルジャー シップリー クラーク キー イングリッシュ アーダーン ヒプキンス ラクソン カテゴリ 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 ドイツ アメリカ オーストラリア 芸術家 ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレ 人物 ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア) 1 その他 公文書館(アメリカ) SNAC IdRef Related Articles