ジョニー・ハイケンス
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人物・来歴
ベルギーに留学し、ブリュッセル音楽院でウジェーヌ・イザイにヴァイオリンを学ぶ。
1914年にフローニンゲンで自ら楽団を設立し、第一次世界大戦後は主にドイツで演奏活動を行った[2]。1920年に作曲した『セレナーデ』は国際的に成功した[2]。
1931年からフローニンゲンに住んでホテルでの演奏活動を行ったりラジオに出演したりした[2]。
1938年からは軽音楽作詞作曲家協会のコンクールの審査員をつとめた[2]。
ハイケンスはオランダ国民社会主義運動(NSB)のメンバーであり、第二次世界大戦でオランダが占領されると新聞紙上などでアドルフ・ヒトラーを賞賛し、ユダヤ人や黒人に対する人種差別的な見解を表明し、ナチスの幹部のパーティーで演奏した[2]。
ロンドンの抵抗ラジオ局であるラジオ・オラニエでは、ハイケンスのセレナードにNSBを揶揄する歌詞をつけて流した。その歌詞は「通りの角にファリサイ人が立っている。男でも女でもない、NSBだ。新聞片手に行商し、祖国と国民を6セントで売り渡す」というものだった[3]。
ハイケンスは、第二次世界大戦の終結後までドイツで演奏家として活躍していたが、戦争末期にオランダに帰国後、連合軍にナチス・ドイツに対する協力的な姿勢を問われて、ヒルフェルスムの監獄に収監され、間もなくして獄中にて死去した[4]。60歳没。
作品
ハイケンスは「ハイケンスのセレナーデ」(Ständchen, Op.21-1)の作曲者として知られる。ハイケンスは他にも多くの楽曲を作曲したが、現在では「ハイケンスのセレナーデ」のみが知られており、それ以外の作品は全くと言ってよいほど知られていない。
日本において、この曲は1943年に日本放送協会のラジオ番組『前線へ送る夕』(ぜんせんへおくるゆうべ)のテーマ曲として採用されたことで一般に知られるようになった。明るく軽快な曲であるが、音楽番組等で取りあがられるたびに、戦死した夫や兄を連想して涙なしでは聞けないという投書が多く寄せられ、しばしば紹介された。戦後は小学校の音楽教材に掲載され、また「めぐる春」の題で久野静夫により歌詞が加えられた[8]。
日本国有鉄道(国鉄)の客車の車内放送用チャイムに、第一主題の旋律の末尾部分が採用された。客車列車の衰退により使用機会は減少したものの、現在でも国鉄からJRへ承継、またはSL運行などで他社へ譲渡された客車や、JR北海道の特急列車、高速乗合バスJAMJAMライナーの新日本観光自動車運行便などに搭載・使用されている。
ゲーム「ローラーコースタータイクーン2」で使用されている[9]。
Web音楽配信企画「ひなビタ♪」の楽曲「花のやくそく」に、本楽曲が引用されている[10]。
ドイツではロリオによる寸劇「Schmeckt's」のBGMとして知られる[11]。
