ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ
From Wikipedia, the free encyclopedia
配偶者
アントニア・ツー・カステル=カステル
| ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ Heinrich XXXIX. Reuß zu Köstritz | |
|---|---|
| ロイス=ケストリッツ家家長 | |
|
| |
| 在位 | 1910年 - 1946年 |
| 出生 |
1891年6月23日 |
| 死去 |
1946年2月24日(54歳没) |
| 配偶者 | アントニア・ツー・カステル=カステル |
| 子女 | 一覧参照 |
| 家名 | ロイス=ケストリッツ家(中子系) |
| 父親 | ロイス=ケストリッツ侯ハインリヒ24世 |
| 母親 | エリーザベト・ロイス・ツー・ケストリッツ |
ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ(ドイツ語: Prinz Heinrich XXXIX. Reuß zu Köstritz, 1891年6月23日 - 1946年2月24日)は、ドイツ・オーストリアの貴族、地主。
作曲家のロイス=ケストリッツ侯ハインリヒ24世と、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ74世の娘エリーザベト(1860年 - 1931年)の間の第3子、長男。両親は同族の従叔母・従甥同士。
国家学及び法学を大学で専攻し、法学博士号を取得[1]。1910年父の死と同時にロイス=ケストリッツ家の分封領(パラギウム)の家督を相続したが、同家の当主が帯びていた「ロイス=ケストリッツ侯(Fürst Reuß-Köstritz)」の称号を名乗ることは辞退した。弟系ロイス侯国の侯家分流の当主として、家督には弟系ロイス邦議会の世襲投票権が付随した。1912年12月5日から1919年2月12日まで、同邦議会議員を務めた。1912年12月5日からは、邦議会の決定によりハインリヒ39世は代理人を議会に出席させた。ドイツ革命に伴う君主制廃止後、邦議会からの抗議を受けて26歳で議員を辞職した。
プロイセン陸軍大尉の階級を有した。ニーダーエスタライヒ州のエルンストブルン及びハーゲンベルク(現ファルバッハの一部)の家族世襲財産の保有者だった。ゲーラのフリーメイソン団体に所属してもいた。プロテスタント系のヨハネ騎士団騎士にも叙任された。