ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ

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在位 1910年 - 1946年
死去 (1946-02-24) 1946年2月24日(54歳没)
オーストリアの旗 オーストリアザルツブルク
配偶者 アントニア・ツー・カステル=カステル
ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ
Heinrich XXXIX. Reuß zu Köstritz
ロイス=ケストリッツ家家長
在位 1910年 - 1946年

出生 (1891-06-23) 1891年6月23日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国エルンストブルン英語版
死去 (1946-02-24) 1946年2月24日(54歳没)
オーストリアの旗 オーストリアザルツブルク
配偶者 アントニア・ツー・カステル=カステル
子女 一覧参照
家名 ロイス=ケストリッツ家(中子系)
父親 ロイス=ケストリッツ侯ハインリヒ24世
母親 エリーザベト・ロイス・ツー・ケストリッツ
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ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツドイツ語: Prinz Heinrich XXXIX. Reuß zu Köstritz, 1891年6月23日 - 1946年2月24日)は、ドイツオーストリアの貴族、地主。

作曲家のロイス=ケストリッツ侯ハインリヒ24世と、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ74世の娘エリーザベト(1860年 - 1931年)の間の第3子、長男。両親は同族の従叔母・従甥同士。

国家学及び法学を大学で専攻し、法学博士号を取得[1]。1910年父の死と同時にロイス=ケストリッツ家の分封領(パラギウムドイツ語版)の家督を相続したが、同家の当主が帯びていた「ロイス=ケストリッツ侯(Fürst Reuß-Köstritz)」の称号を名乗ることは辞退した。弟系ロイス侯国の侯家分流の当主として、家督には弟系ロイス邦議会ドイツ語版の世襲投票権が付随した。1912年12月5日から1919年2月12日まで、同邦議会議員を務めた。1912年12月5日からは、邦議会の決定によりハインリヒ39世は代理人を議会に出席させた。ドイツ革命に伴う君主制廃止後、邦議会からの抗議を受けて26歳で議員を辞職した。

プロイセン陸軍大尉の階級を有した。ニーダーエスタライヒ州のエルンストブルン及びハーゲンベルク(現ファルバッハドイツ語版の一部)の家族世襲財産の保有者だった。ゲーラフリーメイソン団体に所属してもいた。プロテスタント系のヨハネ騎士団騎士にも叙任された。

子女

脚注

参考文献

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