ハインリヒはシュポンハイム伯エンゲルベルト1世(1096年死去)と、恐らくフリウーリのモッサの女伯であったヘートヴィヒ[1]との間の長男である。エンゲルベルトは叙任権闘争においてグレゴリウス7世を支持したため、1091年に皇帝ハインリヒ4世によりバイエルンのプステリア峡谷を奪われた。
ハインリヒの代父で、エッペンシュタイン家の最後のケルンテン公であったハインリヒ3世・フォン・エッペンシュタインの死により、ハインリヒは皇帝ハインリヒ5世からケルンテン公位およびヴェローナ辺境伯位を与えられた。しかしハインリヒはエッペンシュタインの領地は相続できず、それらはオタカル家のシュタイアーマルク辺境伯レオポルトのものとなった。ノイマルクト、ザンクト・ランブレヒトおよびムーラウは、以前はケルンテンのフリーザッハ伯の領地であったが、この結果としてシュタイアーマルク辺境伯の領地となった。
ハインリヒは前任者同様にザルツブルク大司教コンラート1世と対立した。ハインリヒはケルンテン公となって1年後に死去し、弟エンゲルベルトがケルンテン公位を継承した。