ハリーオン

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欧字表記 Hurry On
性別
ハリーオン
欧字表記 Hurry On
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1913年
死没 1936年
Marcovil
Tout Suite
母の父 Sainfoin
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 William Murland
馬主 James Buchanan
調教師 フレッド・ダーリング英語版
競走成績
生涯成績 6戦6勝
獲得賞金 3,248 ポンド[1]
勝ち鞍
ジョッキークラブカップ 1916年
セントレジャーステークス 1916年
繁殖成績
タイトル 英愛リーディングサイアー 1926年
英愛リーディングBMS英語版 1938年, 44年, 45年
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ハリーオンHurry On 1913年 - 1936年)は第一次世界大戦の最中にイギリスで活躍した競走馬であり、後年種牡馬としても成功を収めた。

父はケンブリッジャーステークスの優勝馬マルコヴィル、母はトウトスイトである。オーナーはウィスキー醸造で財を成したジェイムス・ブキャナン、調教師はのちに歴史的名調教師としての評価を受ける、フレデリック・ダーリングであった。

現役時代

相当な巨漢馬であったため、仕上がりが遅れ、初出走は3歳の6月であったが、戦時中のためニューマーケット競馬場で開催されたセントレジャーや、ジョッキークラブカップなど6戦のすべてを圧勝して、無敗のまま現役を終えた。ニューベリーステークスでは同年の1000ギニー勝ち馬を破り、セプテンバーステークスでは同年の2000ギニー勝ち馬を負かしている。

種牡馬時代

ハリーオンは種牡馬としても大成功を収め、3頭のダービーキャプテンカトルコロナックコールボーイや、アスコットゴールドカップに勝ち、種牡馬としても成功したプリシピテイションなど、多数の活躍馬を輩出し、1926年にはイギリスリーディングサイヤーとなった。同じ1926年のアメリカのリーディングサイヤーは、同じマッチェム系マンノウォーであり、マッチェム系は空前の繁栄を迎えていた。また、同じ頃日本では同系のチャペルブラムプトンがリーディングサイヤーになっている。

血統表

関連項目

参考文献

脚注

外部リンク

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