ハリー・G・ジョンソン
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 1923年 カナダのトロントで生まれる。
- 1943年 トロント大学を卒業(20歳)。
- ノヴァスコシアにある聖フランシスコ・ザビエル大学の経済学教授代理として教える。
- 1943年 ケンブリッジ大学でBAをもう一つ取得。
- 1943年 トロント大学の専任講師となる。
- 1947年 トロント大学でMAを取得。
- 1948年 ハーバード大学でMAを取得。
- 1948年 ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジの研究員となる。
- 1956年 経済学教授としてマンチェスター大学に移る。
- 1958年 ハーバード大学から博士号を得る。
- 1959年 経済学教授としてシカゴ大学に移る。
- 1966年 - 1974年 LSEの交換教授となる。
- 1976年 アメリカ経済学会の副会長となる。
- 1976年 - 1977年 スイスのジュネーヴにある国際研究大学院の交換教授を兼務。
- 1977年 ジュネーヴにて脳卒中で倒れ他界。
人物・研究
- 27年という比較的短い経歴の間に、500本以上の学術論文、150編の書評、35冊の書物、さらには何百篇もの新聞論説を書いた。
- 国際経済学が専門といえるが、貨幣的経済学もまた多くの研究を成し遂げている。『外国貿易と経済成長』(1958年)、『貨幣・貿易・経済成長』(1962年)、『関税の理論』(1971年)、『貨幣的経済学』(1967年)、『貨幣的経済学再論』(1972年)、『インフレーションとマネタリスト論争』(1972年)、『マクロ経済学と貨幣理論』(1972年)、『所得分配の理論』(1973年)などがそれである。
- 彼はまた、『低開発国の経済政策』(1967年)という輝かしい書物を著している。
- J・A・フレンケルと共同で編集した論文集『貿易収支への貨幣的アプローチ』(1978年)と『為替相場の経済学』(1978年)を出版した。
- また、人的資本理論、最低賃金法制定、所得政策等々、広範囲に及ぶ諸問題を取り上げた。
- 評論としては、『カナダの困惑』(1973年)、『経済学と社会』(1975年)、妻のエリザベス・ジョンソンとの共著『ケインズの影』(1978年)などがある。
- 彼は「ケインズ革命とマネタリストの反革命」(『アメリカン・エコノミック・レビュー』1971年5月号)の中で、マネタリズムの自惚れた様子をあざ笑い、マネタリズムの衰退は目前に迫っていると予言したが、国際経済に関連した分野においては「貨幣は重要である」(money matters)という見解を主唱した。[1]