ハレット・チャンベル
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チャンベルは1916年8月27日にドイツ帝国のベルリンで生まれた。父で駐在武官のハサン・ジェミル・ベイ(チャンベル)はトルコ共和国の建国者であるムスタファ・ケマル・アタテュルクの親友であり、母のレムジイェ・ハヌムは、前大宰相(オスマン朝スルタンの首相)であり当時駐独オスマン朝大使だったイブラヒム・ハッキ・パシャの娘だった[1]。
チャンベルはアルナヴトキョイのアメリカン女子高校(今のロバート・カレッジ)で中等教育を受けた。高校時代に美術史の教師がイスタンブルの歴史的遺跡の見学旅行を実施し、チャンベルはその影響を受けた。またこの時期にフェンシングをはじめた。1933年から1939年までパリのソルボンヌ大学で考古学を学んだ。1940年にチャンベルはイスタンブル大学の助手の職についた。1944年に博士の学位を取得した。1947年からチャンベルは講師として働いた[2]。ドイツのザールラント大学で2年間客員教授をつとめた[1]。1960年に教授に任命され、先史研究所を設立した。1984年に名誉教授になった[3]。
1936年の夏季オリンピックでトルコ代表選手として出場した後、イスタンブルに戻るときに共産主義者の詩人でジャーナリストのナイル・チャクルハンとつきあいを始めた。チャクルハンはその後に有名な建築家になった[1]。ふたりは結婚し、2008年10月にチャクルハンが没するまで70年間にわたって夫婦だった。
チャンベルは2014年1月12日にイスタンブルで没した。97歳だった[4]。イスタンブル大学文学部での式典の後、ムーラ県アクヤカで、夫の墓の隣に埋葬された[1]。
