ハンス・ガンシュ
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ニーダーエースターライヒ州キルンベルクに生まれる。ブルックナー音楽院から1974年、リンツ・ブルックナー管弦楽団の首席トランペット奏者となる。1976年まで務めた後、1982年まではオーストリア放送交響楽団の首席トランペット奏者、1982年からウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のトランペット奏者となり、1985年からはウィーン・フィルの首席となる。小澤征爾指揮で1996年3月に行われた『アルプス交響曲』のレコードを最後にウィーン・フィルを退団したと言われている。
1997年からは、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院教授。また、金管五重奏団のアート・オブ・ブラス・ウィーン、プロ・ブラスに参加していた他、ブリティッシュ・スタイルの金管バンドのコルネット奏者として活動していた。共にオーストリアに本拠地を置く金管バンドBrass Band Fröschl HallとBrass Band Oberösterreichで首席コルネット奏者として録音を残している。Brass Band Oberösterreichとはヨーロッパ・ブラスバンド選手権にも出場している。
2013年に60歳の誕生日を迎えた直後に聴衆の前でソロを吹いたのを最後に引退した。まだ上手いうちに引退することはかなり前から計画していたことだという[1]。
弟のトーマス・ガンシュもトランペット奏者である。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者(2019年現在)のガボール・タルケヴィと親交があり、多大な影響を受けたとタルケヴィは語っている[2]。
エピソード
農場を経営する父のもとで生まれ、11歳の時にトランペットを始める。始めて数年経つと常軌を逸した練習量をこなすようになり、間違えずに吹けるまで100回もソロ曲を練習したこともあったという。10代後半からはビアガーデンやダンス・バンドでの演奏がメインだったが、才能を見出されて21歳の時にリンツ・ブルックナー管弦楽団のオーディションに招待され合格した。ビアガーデンなどで軽音楽を演奏していた状態からオーディションを受けるまでに2週間しか準備期間がなかったが、なんとかクラシックの柔らかい吹き方を身につけた。このような破天荒なキャリアのため、オーケストラに入団した当初はC管トランペットを吹いた経験がほぼなく、なんと移調もできないような状態だったという。ビアガーデンにいた頃はなんとなくビッグバンド奏者になりたいと思っていて、メイナード・ファーガソンが憧れだった。そのクラシックに馴染みきれていないプレイスタイルから、オーケストラの同僚に非難されることもあった。
音楽の根本的に最も重要な要素は美しい音色だと考えている。これは同氏の稀有な音色を聞いたことのある人にとっては納得の考えだろう。また聴衆を前にした演奏でもほぼ緊張することがなく、その理由として「脳外科の手術をやるのとは違うのだから、ミスをしても人が死ぬ訳じゃない。」と述べている。ただしウィーン・フィルのオーディションの時だけは緊張で足が震えた。自身の長期にわたるキャリアを支えたのは「どんな不具合があろうと、言い訳をせずに黙って仕事を全うする」という姿勢だと考えているという。
引退した後もたまに楽器を吹くが、練習不足によって「クソみたいな音しか出ない」からあまり吹かないと語っている(それでも並の奏者とは比べられないほど素晴らしい音を出すのだろうが!)。[1]