ハンズ・アクロス・アメリカ
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歴史
発足
ハンズ・アクロス・アメリカが開催されるきっかけは、USAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985年)にある[1]。6,000万ドル以上の収入を記録した同曲の成功を受けて、USAフォー・アフリカは、アメリカ合衆国のホームレスと飢えを救済するために、全国にわたって人間の鎖をつくるイベントの企画を立ち上げた[1]。5,000万ドルから1億ドルの寄付金を集めることが目標に掲げられた[2]。イベントの準備は1985年10月に始まった[1]。700以上のスポンサーが協力に加わった[1]。
このイベントのオーガナイズは、音楽マネージャーのケン・クレーゲンが手がけた[3]。彼は「ウィ・アー・ザ・ワールド」の録音セッションの準備に携わった人物でもある[3]。同曲の作詞・作曲に関わったライオネル・リッチーは彼のクライアントであった[3]。
テーマ曲
1986年3月28日、ヴォイシズ・オブ・アメリカの「ハンズ・アクロス・アメリカ」がシングルとして発売された[1]。ジョー・セリサーノ、サンディー・ファリーナ、ニュー・ジャージー・マス・クワイアが歌を担当し[2]、TOTOのメンバーがバッキング・バンドを務めた[4]。ミュージック・ビデオには、ロビン・ウィリアムズ、ウーピー・ゴールドバーグ、キャスリーン・ターナー、バーブラ・ストライサンド、マイケル・ダグラス、C-3POなどが出演している[2]。同曲のBillboard Hot 100での最高順位は第65位だった[5]。
開催
1986年5月25日の太平洋夏時間の正午に、ハンズ・アクロス・アメリカのイベントが始まった[6]。数百万の人々が15分間にわたって手をつなぎ、「ウィ・アー・ザ・ワールド」、「アメリカ・ザ・ビューティフル」、「ハンズ・アクロス・アメリカ」を歌った[7]。
ハンズ・アクロス・アメリカの列は、ニューヨーク州からニュージャージー州、ペンシルベニア州、デラウェア州、メリーランド州、ワシントンD.C.、オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ミズーリ州、テネシー州、ケンタッキー州、アーカンソー州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、そしてカリフォルニア州まで、アメリカ合衆国の16州とワシントンD.C.にまたがった[3]。
イベントの参加者数は、AP通信の調査によれば約4,924,000名[8]、『タイム』によれば600万人以上とされている[9]。人間の鎖の長さは4,152マイルに及んだ[10]。いくつかの地域では、列が途切れる場所もあった[11]。公式の列には選ばれなかった地域においても、同じ時刻に、それぞれが独自に人間の鎖をつくるなど、イベントに同調する動きが見られた[12]。
ブルック・シールズ、ライザ・ミネリ、オノ・ヨーコ、ハリー・ベラフォンテ、ロナルド・レーガン、ナンシー・レーガン、ビル・クリントン、キャスリーン・ターナー、ウォルター・ペイトン、ジョージ・バーンズ、ダドリー・ムーア、リチャード・ドレイファスといった著名人も、このイベントに参加した[3]。
ハンズ・アクロス・アメリカの列に加わる人は10ドルから35ドルを寄付し、見返りとして記念のTシャツを手に入れることができた[13]。
このイベントを通じて3,400万ドルの寄付金が集まり、イベントをおこなうための経費を差し引いた1,500万ドルがチャリティーに充てられた[3]。