ハンニバル・グッドウィン
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Hannibal Williston Goodwin | |
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| 生誕 |
1822年4月21日 ニューヨーク州ユリシーズ |
| 死没 | 1900年12月31日(78歳没) |
| 職業 | 米国聖公会の聖職者[1]、発明家 |
| 著名な実績 | セルロイド製写真フィルムの発明 |
| 配偶者 | Rebecca[2] |

ハンニバル・ウィリストン・グッドウィン(Hannibal Williston Goodwin、1822年4月21日(一説には4月30日) - 1900年12月31日)は、アメリカ合衆国の発明家、米国聖公会の牧師。透明で柔らく巻き取ることができるフィルムをニトロセルロースのフィルム・ベースから製造する方法の特許を取得し、これが初期の映画鑑賞装置であったトーマス・エジソンのキネトスコープに採用された[3]。
グッドウィンは、1822年4月21日(一説には4月30日)にニューヨーク州ユリシーズに生まれ、農場で育った[1]。1844年からイェール・ロー・スクールで大学の授業を受けるようになり、次いでウェズリアン大学に学び、最終的に1848年にユニオン・カレッジで学位を得た。グッドウィンは、さらに米国聖公会の聖職者となるべく、ニューヨークのユニオン神学校に学んだ[2]。ニュージャージー州のボーデンタウン (Christ Church, 1852-1854)、ニューアーク (St. Paul's, 1854-1858)、トレントン (Trinity Church, 1859) で奉仕した後、気管支疾患から健康を回復するためカリフォルニア州へ移り、ナパ (Christ Church, 1859-1862)、メアリーズビル (St. John's, c.1859-1862)、サンフランシスコ (Grace Church/Cathedral, 1862-1867) で奉仕した。1867年、グッドウィンはニュージャージー州に帰還して定住してエセックス郡ニューアークの House of Prayer Church の第5代教区牧師となり、以降の20年間その職にあった[2]。
グッドウィンは、聖書を教えるために用いる図像を定着させることができる、破れにくく透明な素材を探していた[2][4]。 グッドウィンは、教区牧師館であったプラム・ハウス (Plum House) の屋根裏部屋に化学実験室を設け、日光を取り入れるため、屋根に5フィートほどの穴を開けた[2]:335。グッドウィンは、20年間務めた教会から引退した1887年の5月2日に、「写真用の薄膜およびその生成処理 ... 特に巻き上げ式カメラに関するもの (a photographic pellicle and process of producing same ... especially in connection with roller cameras)」の特許を申請したが、特許が認められたのは1898年9月13日のことであった[5]。この間に、ジョージ・イーストマンが独自の処理法によって既にロール状フィルムの生産を始めていた[6][7]。
1900年、グッドウィンは、グッドウィン・フィルム・アンド・カメラ・カンパニー (Goodwin Film and Camera Company) を設立したが、実際にフィルムの生産を始める前に、建設現場近くで交通事故に遭い、片脚を骨折した上、肺炎を併発し、12月31日に死去してしまった[2]。