ハーグ条約 (1720年)
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1700年、スペイン王カルロス2世が後継者のないまま死去した。彼は遺言でスペインとその植民地帝国全体をフランス王ルイ14世の孫、アンジュー公フィリップに託し、フィリップはスペイン王フェリペ5世として即位した。これにより、イングランド王国(1707年以降はグレートブリテン王国)、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)、ハプスブルク君主国(オーストリア)が1702年にフランスに宣戦布告、ブルボン家のフィリップの代わりにハプスブルク家のカール大公をスペイン王につけようとした(スペイン継承戦争)。
しかし、カール大公は1711年にカール6世として神聖ローマ皇帝に即位、戦争の講和条約であるユトレヒト条約ではヨーロッパの勢力均衡を保つためにスペイン領をオーストリアとスペインの間で分割した。オーストリアもスペインも条約の一部に不満であり、その結果スペインは実力行使でオーストリアに分配されたスペイン領を取り戻そうとした。フランスとイギリスは1716年に同盟を締結したが、スペインが攻勢に出ると1718年にオランダ、オーストリアと四国同盟を結成した。同盟の目的はスペインがユトレヒト条約を否定しようとすることを防ぐためにあった。
フェリペ5世はエリザベッタ・ファルネーゼと結婚しており、エリザベッタの寵臣ジュリオ・アルベローニ枢機卿はフェリペ5世にシチリアとサルデーニャを奪取するよう働きかけた。この2つの領土はユトレヒト条約においてそれぞれオーストリアとサヴォイア公国に分配されていた[1]。