ハーバート・J・クラップ
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クラップは、ハーツ&タラントの事務所で見習いとして勤務し、ライシーアム劇場、シューベルト劇場、ブース劇場、ニュー・アムステルダム劇場、ロングエーカー劇場等の設計に関わった。1915年、クラップは事務所を離れる。1912年から1916年までの間にシューベルト兄弟と直接提携して活動を始め、最終的に兄弟にとって最も重要な建築家となった。クラップは、チャニン兄弟の依頼に基づく劇場設計も行っている。
クラップは、建物の空間が持つ可能性を最大限に引き出し、活用する能力で広く知られている。マジェスティック劇場では、スタジアム式の客席配置をオーケストラ席に採用することによって、より良い視界と、ラウンジとロビーの空間を広く確保することを可能にした。アンバサダー劇場を設計した際は、狭い空間に収まるように、会場を建物の対角線上に配置している。クラップは、ウィンター・ガーデン劇場やヘレン・ヘイズ劇場の全面改装にも1920年代に責任者として携わった。また、ホテル・エジソンやリンカーン・ホテル(現ロウ・NYC・ホテル)のほか数多くの建物のデザインを手がけている。
1929年、株式市場の暴落によって劇場建設ブームは終わりを迎えたが、クラップは1963年までシューベルト兄弟と活動を続け、既存の会場の維持や改修の監督に当たっていた。また、クラップは発明の心得もあり、自身が開発したツールのうちには、特許を受け、アメリカ空軍によって採用されていたものも存在する。1973年、クラップはフロリダで死去した。