ハーバート・J・クラップ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 1887年
ニューヨーク
死没 1973年
フロリダ
国籍 アメリカ合衆国
著名な実績 劇場建築家
ハーバート・J・クラップ
生誕 1887年
ニューヨーク
死没 1973年
フロリダ
国籍 アメリカ合衆国
著名な実績 劇場建築家
テンプレートを表示

ハーバート・J・クラップ (Herbert J. Krapp、1887年(ニューヨーク) - 1973年(フロリダ))は、20世紀初頭に活躍した劇場建築家、設計者。

クラップは、ハーツ&タラントの事務所で見習いとして勤務し、ライシーアム劇場シューベルト劇場ブース劇場ニュー・アムステルダム劇場ロングエーカー劇場等の設計に関わった。1915年、クラップは事務所を離れる。1912年から1916年までの間にシューベルト兄弟と直接提携して活動を始め、最終的に兄弟にとって最も重要な建築家となった。クラップは、チャニン兄弟の依頼に基づく劇場設計も行っている。

クラップは、建物の空間が持つ可能性を最大限に引き出し、活用する能力で広く知られている。マジェスティック劇場英語版では、スタジアム式の客席配置をオーケストラ席に採用することによって、より良い視界と、ラウンジとロビーの空間を広く確保することを可能にした。アンバサダー劇場英語版を設計した際は、狭い空間に収まるように、会場を建物の対角線上に配置している。クラップは、ウィンター・ガーデン劇場ヘレン・ヘイズ劇場の全面改装にも1920年代に責任者として携わった。また、ホテル・エジソンやリンカーン・ホテル(現ロウ・NYC・ホテル)のほか数多くの建物のデザインを手がけている。

1929年、株式市場の暴落によって劇場建設ブームは終わりを迎えたが、クラップは1963年までシューベルト兄弟と活動を続け、既存の会場の維持や改修の監督に当たっていた。また、クラップは発明の心得もあり、自身が開発したツールのうちには、特許を受け、アメリカ空軍によって採用されていたものも存在する。1973年、クラップはフロリダで死去した。

クラップが設計した建築物

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI