ハーバート・ノース
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | ハワイ準州 |
| 生年月日 | 1910年1月12日 |
| 没年月日 | 没年不明 |
| 身長 体重 |
180[1] cm 71 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1936年 |
| 初出場 | 1936年4月29日 |
| 最終出場 | 1936年7月17日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ハーバート・バースター・ノース(Herbert Burster North, 1910年1月12日 - 没年不明)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)出身のプロ野球選手(投手)。
マッキンリー高校を経て、パラマウント映画撮影所の野球チームであるパラマウント・カブスにて主戦投手として活躍した。
1936年、名古屋軍の総監督だった河野安通志に招かれバッキー・ハリス、高橋吉雄、松浦一義と共に名古屋軍結成時の外国人の一人として入団[2]。1936年4月29日の対大東京戦(日本プロ野球公式戦最初の試合)で先発牧野潔(1死も取れずに1失点で降板した)の後を受けて登板し、被安打9、与四球10、失点4ながらも、日本プロ野球公式戦最初の勝利投手になっている[1]。身長180cmの当時としては大柄な体格から、横手投げのクロスファイアの球を投げることから、「十字架火投手」と呼ばれて親しまれた。また、大きなドロップカーブが決め球だったと伝わる。春季リーグでは全9試合中7試合で勝敗に絡んだ[3]が、58回1/3の投球回で与四死球59と制球難にあえぎ、更に日本での生活に馴染めなかったことから、1936年春季シーズン終了後、退団した。
退団後はハワイに戻り、地元のハワイリーグ(ワンダラーズ、ブレーブス)でプレーした。