ハーミズ・パン
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生誕
Hermes Joseph Panagiotopoulos
1909年12月10日
Memphis, Tennessee, U.S.
1909年12月10日
Memphis, Tennessee, U.S.
死没
1990年9月19日(80歳没)
Beverly Hills, California, U.S.
Beverly Hills, California, U.S.
活動期間
1928–1968
Hermes Pan | |
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| 生誕 |
Hermes Joseph Panagiotopoulos 1909年12月10日 Memphis, Tennessee, U.S. |
| 死没 |
1990年9月19日(80歳没) Beverly Hills, California, U.S. |
| 職業 | 振付師・ダンサー |
| 活動期間 | 1928–1968 |
ハーミズ・パン(Hermes Pan、1909年12月10日 - 1990年9月19日)は主として1930年代~50年代のミュージカル映画で活躍したアメリカ合衆国の振付師・ダンサー。フレッド・アステアの出演作で多く振付を行った。
ギリシア系移民の子として生まれダンサーを志すが、折からの世界恐慌のあおりもあって芽が出ず、活動の場を初期のハリウッドに移す。『空中レヴュー時代』でアステアに見出され、以後、RKOのアステア=ロジャース映画で振付師として活躍した。
アステアは主演したほとんどすべての映画においてミュージカル・シーンを自分で振付けることにしていたが、その際に相談相手となってさまざまな提案をしたり、時にはペア・ダンスの相手役をつとめたりしたのがパンであった。パンに対するアステアの信頼は絶対的なもので、撮影の前にはかならず数週間にわたって、アステアとパン、リハーサル・ピアニストの三人だけで振付・リハーサルの作業が行われた。またアステア=ジンジャー映画で、多忙なジンジャーに代わり、撮影後彼女のタップ音の大半を録音したのもパンである。
ジンジャーとのコンビ解消後もアステア映画に参加し、1960年代のテレビ番組でも振付を行ったが、『フィニアンの虹』では振付が不評で途中降板させられるなど、徐々に時代の流行と合わなくなり、同作を最後に映画から引退した。