バザール・ド・ラ・シャリテ
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バザール・ド・ラ・シャリテ(仏: Bazar de la Charité)は、1885年からパリでフランスのカトリック貴族が主催していた毎年開催のチャリティー・イベントである。126人(主に貴族女性)が死亡した1897年のバザールでの火災で最もよく知られている。この火災における最も著名な犠牲者は有名なオーストリア皇后エリーザベトの妹でアランソン公爵夫人のソフィー・シャルロットである[1]。

起源
1885年に銀行家のアンリ・ブランがカトリック系貴族を糾合してチャリティー・バザールとして始めた。最初はパリ8区のフォーブール・サントノレ通を会場とし、その後ヴァンドーム広場・ラ・ボエティ通と会場を変え、1897年にジャン・グージョン通17番地に会場を移した。この年は政治家で男爵でもあったアルマン・ド・マッカウが責任者となり、会場には木造の仮設の建物(80メートル×13メートル)が建設され内部ははファンタジックな中世の街路が木や厚紙、布、張り子で作られていた。しかし出口は適切にマークされていなかった[2]。これらの条件が重なり後述の惨事に発展したとされる[3]。このバザールの目新しいアトラクションは当時としては新しい光景であった、リュミエール兄弟の技術により投影された動画を鑑賞できる部屋であった。
1897年の火災


4日間を予定していたバザールの2日目の5月4日午後に映写技師の装置(電気式ではなくエーテルと酸素を使用)から出火した[4]。それにより発生した火災や群集のパニックにより126人が死亡した(大半が女性貴族)。さらに、200人以上の人々が火災で負傷した[5]。この惨事は国内外で報道された。
中庭を通って逃げていた来訪者の一部はオテル・デュ・パレ (Hôtel du Palais) の女性支配人だったロッシュ・ソーティエ夫人と料理人に救助された。彼らはその来訪者たちが厨房の窓を通って隣接する建物へ避難する手助けをした[6]。デンタルレコードを利用した黒焦げの遺体の身元確認は法医歯科学の前史において画期的なことであった[7]。
