バディ・ハケット
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私生活・死去
1924年、ニューヨーク市ブルックリンに生まれる。ユダヤ系の家系だった。高校時代からナイトクラブなどのステージに立ち、コメディアンとして活動をしていた。1942年に高校を卒業。後にアメリカ陸軍へ入隊して、第二次世界大戦へも出兵している。戦後、ブルックリンのナイトクラブなどで再びスタンダップコメディアンとしての活動を再開させ、徐々にキャリアを積んでいく。それまでの芸名は“レオナルド・ハッカー”だったが、活動再開と同時にバディ・ハケットへ改名した。活動の場もニューヨークの他にロサンゼルス、ラスベガスへ広げ、50年代へ入ると、映画界へも進出。ドナルド・オコーナーとジャネット・リーが出演した映画『恋人を家に送って歩く道』などの喜劇へ出演して徐々に知名度も上昇。特に50年代と60年代でその人気を不動のものにした。
テレビ番組ではジョニー・カーソンの看板番組だった『The Tonight Show Starring Johnny Carson』へは当時最も多いゲスト出演回数を誇る。また、これまで『三ばか大将』のカーリーが倒れた際に、代わりのキャストへ打診されたことがあるが、独自のコメディへの自信から、その話は断っている[1]。その他、1954年に公開された『Fireman Save My Child』では、当初出演するはずだったコメディ俳優のルー・コステロと容姿が似ているとの理由から急遽代役としても出演した。コメディアン、俳優としての地位を確立した後は、シットコムやブロードウェイ舞台など幅広い分野で活躍。
80年代以降も精力的に仕事を続け、ディズニーが製作したアニメ映画『リトル・マーメイド』へ声優として出演したり、ビル・マーレイ主演のファンタジー・コメディ『3人のゴースト』の劇中劇へスクルージ役としても出演している。テレビではNHKでも放送されたシットコム『サブリナ』や『ジェシカおばさんの事件簿』、『恐竜家族』へも出演して健在ぶりを発揮した。『ジェシカおばさんの事件簿』では、まだ無名の頃のジョージ・クルーニーとも共演している。
1955年に結婚し、3人の父親でもあった。更なる今後の活躍も期待されていたが2003年、ロサンゼルス近郊のマリブにあった自宅で死去した[2]。78歳だった。