バーシティ・クラブ

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名称
  • ザ・バーシティ・クラブ
  • ザ・バーシティ・クラブ21
デビュー 1987年1999年
解散 1989年2002年
ザ・バーシティ・クラブ
概要
メンバー マイク・ロトンド
リック・スタイナー
スティーブ・ウィリアムス
ダン・スパイビー
ケビン・サリバン
名称
  • ザ・バーシティ・クラブ
  • ザ・バーシティ・クラブ21
デビュー 1987年1999年
解散 1989年2002年
団体

ザ・バーシティ・クラブThe Varsity Club)は、1980年代後半にアメリカ合衆国で活動したプロレスラーユニットである。大学のレスリング部出身のアスリートをモチーフとしていたが、レスリングのエリートであることを鼻にかけたヒールとなって活躍した[1]

ロトンド、スタイナー、ウィリアムスは、ギミックではなく大学時代は実際にレスリング選手としての実績を残している[2][3][4]

来歴

1987年末、NWAジム・クロケット・プロモーションズにおいて、マイク・ロトンドリック・スタイナーによって結成された。レスリング部で活躍したアスリートというベビーフェイス的なキャラクターでありながら、エリート意識の強い高慢なヒールタッグチームとして活動[1]。それぞれの出身大学のレターマン・ジャケット(スタジアムジャンパー)とシングレット(ショルダータイツ)をコスチュームに、チアリーダーの先導で入場し、マネージャーには彼らの「コーチ」を自認するケビン・サリバンが就いた[1]

1988年1月にはロトンドがNWA世界TV王座を獲得するが[5]、どちらが「キャプテン」であるかを巡りスタイナーとの間で確執が生じ、同年9月に仲間割れを起こしてスタイナーはベビーフェイスに転向[1]。同時期、舞台裏ではテッド・ターナーがジム・クロケット・プロモーションズを買収してWCWが発足。新体制による12月26日開催の『スターケード'88』では、両者によるTV王座戦が行われ、スタイナーがロトンドを破りタイトルを獲得した[5][6]

スタイナーに代わる新メンバーには、それまでベビーフェイスのポジションにいたスティーブ・ウィリアムスヒールターンして加入[1]。同じく『スターケード'88』において、サリバンとのコンビでザ・ファンタスティックスボビー・フルトン&トミー・ロジャース)からUSタッグ王座を奪取している[6]。以降、スタイナー&エディ・ギルバートと同王座を争った[7]1989年からはダン・スパイビーもバーシティ・クラブのメンバーとなり、団体内における勢力を拡大。同年4月2日の『クラッシュ・オブ・ザ・チャンピオンズVI』では、ロトンド&ウィリアムスのコンビでロード・ウォリアーズからNWA世界タッグ王座を奪取した[8][9]。しかし、5月7日のPPV『レッスルウォー'89』でのリターン・マッチにおいてセコンドのサリバンとスパイビーが試合に介入、特別レフェリーのニキタ・コロフを攻撃したためタイトルは剥奪される[8][10]

その後ウィリアムスとも仲間割れし、スパイビーもユニットを離れシッド・ビシャスと新チームのザ・スカイスクレイパーズを結成[11]。残党メンバーのロトンドとサリバンはリック&スコットスタイナー・ブラザーズと抗争するが、7月23日の『グレート・アメリカン・バッシュ'89』でのバトルロイヤル形式のテキサス・トルネード・マッチにおいて5分足らずで完敗[12]。9月12日の『クラッシュ・オブ・ザ・チャンピオンズVIII』ではフェイスターンしたウィリアムスにロトンドが敗退[13]。以降、バーシティ・クラブは解散した。

リユニオン

解散から10年後の1999年下期、当時WCWのブッカーだったサリバンにより、バーシティ・クラブはWCWにてロトンドとスタイナーのオリジナル・メンバーで再結成されている。12月19日開催の『スターケード'99』ではジム・ドゥガンを加えたカルテットでザ・レボリューション(シェーン・ダグラスディーン・マレンコペリー・サターン、および女性ボディーガードのエイジア)と対戦したが[14]、かつてのような活躍は望めず、短期間でフェードアウトしていった。

2000年9月、ロトンドとウィリアムスが 「バーシティ・クラブ21」 として全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦2000年大会に参加、決勝戦で川田利明&渕正信を下して優勝を果たした[15]。以降も全日本プロレスの常連外国人チームとなり、世界タッグ王座にも挑戦。最強タッグには2001年大会2002年大会にも連続出場している。

戦績

脚注

外部リンク

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