パウルス・ポンティウス
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パウルス・ポンティウス Paulus Pontius | |
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アンソニー・ヴァン・ダイクによる肖像画 | |
| 生誕 |
1603年5月 アントウェルペン |
| 死没 |
1658年1月 アントウェルペン |
パウルス・ポンティウス(Paulus Pontius、1603年5月27日 - 1658年1月16日[1])は、17世紀フランドルの版画家である。パウルス・ポンティウスはラテン語名でポール・デュポン(Paul Dupontまたは Paul Du Pont)の名前でも知られている[2]。ピーテル・パウル・ルーベンスやアンソニー・ヴァン・ダイクの原画をもとに版画を制作したことで知られている[3][1]。ルーカス・フォルステルマン(Lucas Vorsterman: 1595-1675)やスヘルテ・アダムスゾーン・ア・ボルスヴェルト(Schelte Adamsz. à Bolswert: c.1586 - 1659)とともに17世紀のフランドルを代表する版画家である。
アントウェルペン生まれとされる。1616年に静物画を専門とする画家、オシアス・ベールト(c.1580-1623)の弟子になるが、版画に転じ、ルーベンス(1577-1640)の工房で働いていた版画家のルーカス・フォルステルマから版画を学んだ[3][4] 。フォルステルマンがルーベンスと対立し、1624年にイギリスに移った後、フォルステルマンがしていたルーベンスの原画をもとに版画を制作する仕事を引き継いだ。1631年までは、ルーベンスの邸に住んでいた[5] 。
1826年か1827年にアントウェルペンの聖ルカ組合に加入し[3]、Frans van den Wijngaerdeを弟子にした。
ルーベンスの他にアンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)やヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678)、アブラハム・ファン・ディーペンベーク(1596-1675)、ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)といった同時代の画家やティツィアーノ・ヴェチェッリオのような前の時代の画家の作品も版画にした[4]。
生涯に3度、結婚し、2人の息子と4人の娘が生まれた。息子の1人は版画家、画商になった[1]。