ホーフハイマーは即興演奏の輝かしい才能に恵まれ、当時は並び立つ者がいなかった。繰り返しなしで数時間演奏し続けることができたという。ホーフハイマーはオルガン奏者であっただけでなく、オルガン教師としても傑出した存在であった。ドイツのあらゆる有名なオルガン楽派は、もとを辿ればホーフハイマーに行き着くのである。しかもホーフハイマーはイタリアでもオルガン教師を務めている。たとえば門人ディオニシオ・メムノは、ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂のオルガニストになり、ホーフハイマーに学んだ演奏技巧を初期のヴェネツィア楽派に伝えた。
作品数としてはオルガン曲が最も多いが、作品のうち原曲のまま伝承されている作品は数少ない。現存する作品は、3声か4声のリートや、それらを鍵盤楽器やリュートのために編曲したもの(インタヴォラトゥーラという)がほとんどである。ホーフハイマーのリートの写譜は、たいていは編曲版で、ヨーロッパ各地に伝えられており、その人気の高さを物語っている。現存する数少ないオリジナルのオルガン曲は、ホーフハイマーの定旋律を軸としたポリフォニー構成の能力の高さを明かしている。
ホーフハイマーのドイツ・リートは、当時としては典型的なバール形式によっており、ポリフォニックな楽節とホモフォニックな楽節の交替で出来ている。ホーフハイマーは、当時フランドル楽派の影響でヨーロッパで主流となりつつあった通模倣様式を採ることはめったになかったが、インスブルックでイザークの作品と出逢った時に、その作曲様式を知ったかもしれない。
ホーフハイマーはオルガン鑑定人としても名高く、しばしばオルガンの建造や修復について助言した。