パウル・ロストック
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1892年、ドイツ帝国メゼリッツ郡クランツに生まれる。グライフスヴァルト大学で医学を学び、1921年にはイェーナ大学に移り医学博士号(Dr. med)を修得する。その後はイェーナ大学の学内診療所に外科医として勤務する。1927年から1933年にかけてロストックはボーフムのベルクマンシェイル大学病院に勤務したが、ここで先輩医師として勤務していたカール・ブラントと出会っている。1933年からはベルリンの医学局長(Ärztlicher Direktor)として勤務する。1935年には外科医学の私講師(Privatdozent)たる資格を得る。1936年、教授(Professor)たる資格を得る[1]。
1937年5月1日、国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)入党。党員番号は5,917,621。1939年、国防軍外科相談役に就任。1940年2月20日、国家社会主義ドイツ医師協会に入会。会員番号は31,569。1941年、ロストックはベルリン大学第2学内外科診療所長に就任すると共に教授として教鞭を執る。1942年には医学部長に就任する。1943年、カール・ブラントの推薦を受けて医学科学研究局長に就任する[1]。
人体実験
→詳細は「ナチス・ドイツの人体実験」を参照
カール・ブラント、ジークフリート・ハントローザー、オスカー・シュレーダー、カール・ゲンツケン、オイゲン・ハーゲン、そしてロストックなど多くの軍医将校は捕虜や強制収容所収容者などを利用して様々な医療実験を計画・実施していたとされる。これには国防軍だけではなく、親衛隊や警察なども全面的に協力していた[2]。
