パオロ・ネスポリ

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生誕 (1957-04-06) 1957年4月6日(68歳)
イタリア ミラノ
他の職業 イタリア陸軍少佐
宇宙滞在期間 174日9時間40分
パオロ・ネスポリ
Paolo A. Nespoli
ESA宇宙飛行士
国籍 イタリア
生誕 (1957-04-06) 1957年4月6日(68歳)
イタリア ミラノ
他の職業 イタリア陸軍少佐
宇宙滞在期間 174日9時間40分
選抜試験 1998 ESA Group
ミッション STS-120, ソユーズTMA-20, 第26次長期滞在/第27次長期滞在
記章
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パオロ・ネスポリ(Paolo Angelo Nespoli、1957年4月6日-)は、イタリア宇宙飛行士である。2007年に、STS-120のミッションで、ディスカバリーに搭乗して初めて宇宙飛行を行った。2010年12月には、ソユーズTMA-20で2度目の宇宙飛行を行い、第26次長期滞在及び第27次長期滞在でフライトエンジニアとして国際宇宙ステーション(ISS)に滞在した。

イタリア北部のヴェラーノ・ブリアンツァに生まれる。デジオのフリージ科学高等学校(現:エットーレ・マヨラーナ高等学校)を卒業後、1977年にイタリア陸軍に入隊し、ピサの空挺兵学校を経て、第9落下傘強襲連隊の空挺兵となる。1982年から1984年にかけて、多国籍平和維持軍の一員としてレバノンに派遣された。

1987年に陸軍少佐で予備役編入後、ニューヨーク大学タンドン工学部英語版で1988年に航空宇宙工学の学士号、1989年に航空学及び宇宙航行学の修士号を取った。

宇宙飛行士としてのキャリア

ISS内のパオロ・ネスポリ

1998年7月、彼はイタリア宇宙機関から宇宙飛行士に選ばれ、同年8月には欧州宇宙機関からアメリカ航空宇宙局ジョンソン宇宙センターで訓練を受けてくるように指示を受けた。

STS-120

2007年10月23日、パオロはSTS-120でISSを訪れた。このミッションでは、タレス・アレーニア・スペーストリノの施設で建造したハーモニーをISSに運んだ。彼はミッションスペシャリストとして参加し、15日と2時間23分滞在した。STS-120で、彼は欧州宇宙機関のEsperiaミッションに参加した[1]

第26/27次長期滞在

ネスポリは、第26/27次長期滞在ではフライトエンジニアを務め、ヨーロッパ人として3人目となる6ヵ月のミッションを行った[2]

2010年12月15日、ネスポリはソユーズTMA-20でバイコヌール宇宙基地を出発し、ロシア人宇宙飛行士のドミトリー・コンドラティェフ、アメリカ人宇宙飛行士のキャスリン・コールマンとともにISSを訪れた。3人は2011年5月に地球に帰還した。‘MagISStra’と名付けられたこのミッションは、ネスポリの2度目の宇宙飛行となった。

2010年12月から2011年5月にかけて、ISSでのネスポリの任務は、2度目の欧州補給機「ヨハネス・ケプラー」のドッキング操作等があった[3]。1月初め、ネスポリはドキュメンタリー映画First Orbitの大部分の撮影を行い、撮影監督としてクレジットされることとなった。

ネスポリは、日本の宇宙ステーション補給機(HTV-2)の到着作業にも参加し、コールマンが捕獲したHTV-2をISSに係留させる作業を担当した。2011年5月には、アルファ磁気分光器(AMS-02)がスペースシャトルでISSに運ばれた。第27次長期滞在の期間である2011年5月4日、ネスポリの母のマリアが死去した。翌日、葬儀が行われる時間に合わせ、乗組員は1分間の黙祷を捧げた[4]

ネスポリは宇宙ステーションで、放射線測定から、油槽からの石油回収を向上させるための測定まで、様々な実験を行った。このミッションにおける科学プログラムは、人間の研究から、液体物理学、放射線、生物学、技術の実証まで、様々な分野に及んだ。

ネスポリは、欧州の提供施設コロンバスでも実験を行った。彼は宇宙飛行士として、ESA、NASAだけではなく、日本やカナダの宇宙庁のための実験も行った。またミッションの間、彼は"Mission X: Train Like an Astronaut"等のいくつかの教育活動も行った。また、ESAの3Dカメラを使ってISSの画像を撮影した。

2011年5月23日にソユーズTMA-20でISSを離れる際、彼はソユーズから、ISSにドッキングするスペースシャトルの姿を史上初めて撮影することができた[5]

私生活

出典

外部リンク

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