舞台芸術

舞台や空間上で行われる芸術の総称 From Wikipedia, the free encyclopedia

舞台芸術(ぶたいげいじゅつ、: performing arts)とは、観客に向けて上演される演劇音楽舞踊を中心とする芸術総称である[1]。日本語では、劇場などの舞台を主な空間として行われる芸術を指す語として用いられる[2][3]

バレエ白鳥の湖』の上演

主要な分野には演劇、音楽上演、舞踊があり、これらを組み合わせる形式としてオペラミュージカル、舞踊劇がある。さらに、人形劇サーカス奇術パントマイム落語も、観客に対する実演という点で舞台芸術と関係する。本項では、観客に向けた実演を中心に扱う。

舞台芸術は、専用の劇場だけでなく、野外、街路、広場、寺社、祭礼の場でも行われる。実演者の身体、声、演奏と、観客、上演空間、舞台装置、照明、音響との関係によって個々の上演が構成される。世界各地では、宗教、政治制度、言語、社会構造と結び付いた固有の上演文化が形成され、近代以降は巡回興行、植民地支配、移民、教育、メディア、国際芸術祭を通じて相互の交流が進んだ。

定義と範囲

舞台芸術は、俳優、歌手、演奏家、舞踊家といった実演者が、身体、声、楽器を用いて表現を観客へ提示する芸術である。上演の基礎に台本、楽譜、振付が置かれる場合がある一方、即興を含む上演もある。作品、記録、解釈、即興の関係は、芸術分野や上演伝統によって異なる。

舞台は、演者が演技や演奏を行う部分だけを独立して指すものではなく、観客席、劇場建築、上演時間、演者と観客との関係を含む上演空間のなかに位置づけられる[4]。日常的な街路や広場も、そこで実演が行われている間は舞台となりうる。仮設の台や櫓を設ける形式から、恒常的な舞台と客席を備えた劇場まで、さまざまな上演空間が存在する[4][5]

特徴

実演

舞台芸術では、実演者の演技、歌唱、演奏、身体運動を通じて表現が提示される。演劇では言語や身ぶり、舞踊では身体運動、音楽上演では声や楽器による音響が主要な表現手段となるが、多くの上演では衣装、舞台美術、照明、音響も組み合わされる。

実演の方法は一様ではない。台本、楽譜、振付に基づく上演がある一方、即興的に内容を作り出す上演や、あらかじめ定めた構成と即興を組み合わせる上演もある。同一の作品であっても、実演者、演出、上演場所の違いによって別の形で上演される。

上演空間と観客

劇場の舞台は、その形状と客席との関係から、額縁舞台と張出し舞台に大別される。額縁舞台では、額縁状の構造によって舞台と客席が区切られ、幕によって舞台を観客から隠すことができる。一方、張出し舞台は舞台の全部または一部が客席側へ突き出し、観客が複数の方向から舞台を囲む構造をとる[4][5]

この違いは形状だけでなく、演者と観客との関係にも影響する。額縁舞台では演じる側と見る側が比較的明確に分けられるのに対し、張出し舞台では演者と観客との距離が近く、観客が上演空間の一部を構成する関係が生じやすい[4]。近代以降は額縁舞台が広く普及したが、張出し舞台、舞台を客席が囲む形式、劇場外の場所を用いる上演も行われている[5]

舞台には、観客から見える演技領域だけでなく、舞台袖、舞台奥、照明や吊物を設置する上部空間、舞台装置を動かす床下の機構も含まれる。舞台の形状や設備は、登退場、場面転換、観客の視線、音響や照明の効果を左右し、上演表現を構成する要素となる[6]

主な分野

演劇

演劇は、俳優の演技を中心として人物や出来事を観客に提示する舞台芸術である。台詞、身体表現、演出、舞台美術に加え、照明や音響も用いられる。台本を基礎とする演劇のほか、即興演劇、身体表現を重視する演劇、特定の場所を利用する上演もある。

舞踊

舞踊は、身体の運動を主要な表現手段とする舞台芸術である。劇場芸術として発達したバレエモダンダンスコンテンポラリー・ダンスのほか、祭礼や儀礼、社交、地域社会と結び付いた舞踊もある。振付によって構成される作品と、即興を含む舞踊の双方が存在する。

音楽上演

音楽上演は、歌唱や楽器演奏による独奏、合奏、合唱、オーケストラに分かれる。楽譜に基づく演奏と即興を含む演奏の関係は、音楽文化やジャンルによって異なる。劇場、コンサートホール、宗教施設、野外、ライブハウスで行われる。

複合的な舞台芸術

オペラ、ミュージカル、舞踊劇では、演劇、音楽、舞踊、舞台美術という複数の分野が組み合わされる。オペラでは歌唱と器楽が劇的表現の中心となり、ミュージカルでは台詞、歌唱、舞踊が組み合わされる。各分野の境界は固定的ではなく、演劇、音楽、舞踊、美術を横断する実験的な作品も制作されている。

人形劇・サーカス・演芸

人形劇では、人形の操作、語り、音楽によって人物や物語が表現される。サーカス、曲芸、奇術、パントマイムでは、身体技法や視覚的な演出が重要な役割を担う。落語、講談、スタンダップコメディーといった話芸では、語りと身ぶりを通じて観客へ働きかける。

歴史

舞台芸術は、単一の起源から世界各地へ伝播したものではなく、音楽、舞踊、語り、演技、祭祀が、それぞれの社会や文化のなかで別個に発達してきた。今日用いられる「演劇」「音楽」「舞踊」という分類も、すべての時代・地域の上演文化にそのまま適用できるものではない[7]

古代

音楽活動の考古学的証拠は先史時代にまで遡る。音を生み出す道具だけでなく、音楽に関わる人間の社会的・感情的・コミュニケーション上の能力についても、考古学と人類学の両面から研究されている[8]

古代ギリシアでは、祭礼と結び付いた悲劇・喜劇が発達し、野外劇場において俳優と合唱隊による上演が行われた。インドでは『ナーティヤ・シャーストラ』が演劇、舞踊、音楽、身ぶり、感情表現を体系的に論じ、その後の上演伝統に影響を与えた。中国でも祭祀、宮廷音楽、舞踊、曲芸が発達し、後世の演劇へつながる諸形式が形成された[7][9]

古代の上演は、後世の劇場芸術と同じ形式を備えていたわけではなく、宗教、政治、共同体の記憶、教育、祝祭、娯楽という複数の役割を担う場合があった。

中世

中世の舞台芸術は、宗教施設から宮廷、祭礼、都市、市場、街路まで幅広い場所で行われた。ヨーロッパでは、キリスト教の典礼や聖書の物語と結び付いた劇的上演が発達する一方、楽師、語り手、曲芸師による世俗的な芸能も行われた[10]

アジアでは、宮廷や寺院、地域の祭礼において音楽、舞踊、演劇、人形劇が発達した。アフリカでも口承、音楽、舞踊、仮面、祝祭を含む上演文化が形成されたが、その形態や社会的役割は地域ごとに異なる[9][11]

この時代には、上演が宗教的・儀礼的な文脈に置かれる一方、専門的な実演者や興行的な公演も各地で発達し、後の職業的な劇場文化の基盤となった。

職業劇団と劇場の発達

13世紀から17世紀にかけて、各地で職業的な実演者、劇団、興行、専用または仮設の上演施設が発達した。ヨーロッパでは、印刷文化の広がり、宮廷文化、都市の発展を背景に、演劇、舞踊、音楽上演が制度化された[12]

16世紀末から17世紀初頭のイタリアでは、歌唱、器楽、演技、舞台美術を組み合わせるオペラが成立した。オペラは宮廷から公共劇場へ広がり、各地域で異なる形式を生み出した[13]。宮廷舞踊から発達したバレエも、専門的な訓練と上演制度を備える劇場芸術へ変化した。

ヨーロッパ以外でも、中国の地方演劇、インドの舞踊劇、東南アジアの仮面劇・人形劇、日本の能・歌舞伎・人形浄瑠璃が、職業的または半職業的な上演文化として発展した[9]

近代

18世紀から19世紀にかけて、都市人口の増加、公共劇場やコンサートホールの整備、印刷・交通・照明技術の発達を背景に、舞台芸術の制作と観客層が拡大した。演劇では感傷劇、ロマン主義、写実主義、自然主義が展開し、俳優の演技、演出、舞台美術を統合する制作方法が発達した[14]

オペラでは、18世紀のオペラ・セリアと喜歌劇、19世紀のグランド・オペラ、イタリア・ドイツ・フランスを中心とする各国様式が発達した[15]。バレエや大衆的な演芸も、都市の劇場・興行文化のなかで新たな観客を獲得した。

近代の舞台芸術は、国民国家の形成、植民地支配、帝国主義、移民、国際興行とも結び付いた。西洋の劇場制度が世界各地へ移入される一方、各地域の実演者は外来の形式を地域固有の言語、音楽、舞踊、物語と組み合わせた[16]

現代

19世紀末から20世紀前半には、写実主義への反発や社会・技術の変化を背景として、象徴主義、表現主義、未来派、ダダ、シュルレアリスム、叙事的演劇といったモダニズム運動が展開した。演劇、舞踊、音楽、美術の境界を越える実験も行われ、上演空間、俳優の身体、観客との関係が再検討された[17][18]

第二次世界大戦後は、冷戦、脱植民地化、公民権運動、フェミニズム、移民、民族的・性的アイデンティティーが舞台表現の重要な主題となった。各地域では、伝統的な上演形式を保存・復興する動きと、それを現代的な演劇・舞踊へ再構成する動きが並行して進んだ[19]

20世紀末以降は、国際芸術祭、海外公演、共同制作、映像・通信技術の発達によって、舞台芸術の国際的な移動と交流が拡大した。オンライン配信やデジタル技術を組み込んだ上演も現れたが、地域固有の伝承、言語、身体技法、観客との関係も引き続き重要な要素となっている[20]

世界各地の舞台芸術

舞台芸術は、世界各地の宗教、政治制度、言語、社会構造、身体観、上演空間と結び付いて発達してきた。地域間では、交易、征服、植民地支配、移民、巡回興行、教育、メディアを介して、実演者、作品、技法、楽器、劇場制度が移動した。そのため、個々の上演形式を特定地域に固定された伝統としてのみ捉えることはできない[21]

ヨーロッパ

ヨーロッパでは、古代ギリシア・ローマの演劇、中世の宗教的・世俗的上演、ルネサンス期以降の職業劇団、オペラ、バレエが発達した。近代には、都市の公共劇場、歌劇場、コンサートホールと、俳優・音楽家・舞踊家の教育機関が整備され、劇場文化が国家や都市の制度とも結び付いた[22]

ヨーロッパの舞台芸術は一つの系譜にまとめられるものではなく、宮廷、教会、都市の興行、祭礼、民衆芸能という別々の基盤を持つ上演文化が並存してきた。19世紀末から20世紀には、写実主義、自然主義、象徴主義、表現主義、叙事的演劇、不条理演劇が展開し、戦後には国立・公立劇場、民間劇場、小規模な実験劇場、国際芸術祭がそれぞれの制作環境を形成した。

アジア

アジアには、宮廷、寺院、祭礼、都市の興行を基盤とする演劇、舞踊、音楽、人形劇が存在する。インドのサンスクリット演劇や古典舞踊、中国の崑曲・京劇、日本の能・歌舞伎・文楽、朝鮮半島の仮面劇、東南アジアの舞踊劇・影絵・人形劇は、それぞれ独自の歴史、演技法、音楽、伝承制度を持つ[9][23]

南アジアでは、『ナーティヤ・シャーストラ』の伝統とともに、地域、言語、宗教、宮廷、寺院を背景とする数多くの上演形式が発達した。東アジアでは、宮廷芸能、宗教儀礼、都市演劇、語り物、人形劇が相互に影響を受けながら、各地域の言語、音楽、演技法、観客文化に応じて独自の形式を形成した。

東南アジアでは、海上交易、宮廷文化、仏教・ヒンドゥー教・イスラム教の影響のもとで、仮面劇、舞踊劇、影絵、人形劇が発展した。インドネシアのワヤン、タイのコーン、カンボジアの宮廷舞踊では、物語、音楽、舞踊、衣装、仮面または人形が組み合わされる[24][9]。近代以降は、西洋式の劇場や演技教育の移入と、地域の上演技法の再構成が並行して進んだ。

西アジア・中東

西アジア・中東では、詩の朗唱、物語の口演、人形劇、影絵、宗教的な上演、宮廷芸能といった実演文化が行われてきた。これらを近代ヨーロッパ型の「演劇」の有無だけで評価することはできず、それぞれの上演が置かれた宗教的・社会的文脈を考慮する必要がある[25]

19世紀以降には、翻訳劇、近代的な劇場、教育機関が発達し、エジプトからトルコに至る各地で独自の現代演劇が形成された。現代の上演活動は、移民や難民、国外公演、翻訳、共同制作を通じて国境を越えており、戦争、占領、ジェンダー、故郷、離散、政治的抵抗も重要な主題となっている[26]

アフリカ

アフリカの舞台芸術は、地域、言語、宗教、植民地経験によって大きく異なる。共同体の祭礼、季節行事、宗教儀礼、口承、音楽、舞踊、語り、仮面、職業的な芸人は各地の上演文化の基盤となってきたが、その構成と意味をアフリカ全体に共通する特徴として一般化することはできない[27]

北アフリカから南部アフリカに至る地域や、仏語圏・英語圏・ポルトガル語圏では、それぞれ独自の近現代演劇が形成された。植民地期にはヨーロッパ式の劇場・教育・言語が持ち込まれた一方、地域の語り、音楽、舞踊、祝祭を劇場作品へ再構成する活動も行われた[11]。独立と脱植民地化の過程では、舞台が植民地主義への批判、民族的・国家的文化の形成、社会教育や政治参加の場となった。

アメリカ大陸

アメリカ大陸の舞台芸術は、先住民の上演文化、ヨーロッパから移入された演劇・音楽・舞踊、アフリカ系住民の文化、移民社会の表現が交錯するなかで形成された。植民地化以前の上演文化を、ヨーロッパ式劇場の前段階としてのみ位置づけることはできない[28]

北アメリカでは、公共劇場、商業劇場、地域劇場、大学演劇、実験演劇が並存する。アメリカ合衆国では、ブロードウェイを中心とするミュージカルと商業演劇が国際的な影響力を持つ一方、アフリカ系、先住民、ラテン系、アジア系の劇団・実演者も、それぞれの歴史や社会経験を舞台化してきた。

ラテンアメリカとカリブ海では、植民地支配、独立、独裁、革命、移民の歴史と結び付いて、民衆演劇、政治演劇、共同体を基盤とする演劇、実験的な上演が展開した[29]。地域内には多数の言語と社会が存在し、単一の美学や政治的立場によって説明することはできない。

オセアニア

オセアニアでは、オーストラリア先住民からパプアニューギニア、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアに至る社会で、歌唱、舞踊、語り、儀礼、身体装飾を伴う実演文化が伝承されてきた。これらの文化では、音楽・舞踊・演劇という近代西洋的な分類が必ずしも明確に分かれていない[30]

植民地化以降は、ヨーロッパ式の劇場・演劇・音楽教育が導入された一方、先住民の言語、物語、土地との関係、植民地経験を舞台化する演劇・舞踊も発展した。現代の実演者は、祭礼、観光、国家的行事、教育、国際芸術祭、移民社会という複数の環境で、地域の音楽・舞踊・物語を再構成している[31][23]

国際交流

近代以降、巡回興行、植民地博覧会、移民、留学、翻訳、録音・映像によって、舞台芸術の国際的な移動が拡大した。第二次世界大戦後には、国際芸術祭、劇場間の提携、海外公演、共同制作、芸術家の滞在制作が、作品と実演者の交流を支えるようになった。

国際芸術祭は、作品を国外へ紹介するだけでなく、開催都市の文化政策、観光、都市開発、国際関係とも結び付いている[32]。国際交流は常に対等に行われるとは限らず、植民地主義、資金・劇場設備の格差、翻訳、作品選定、文化的表象をめぐる問題も伴う。国外での受容に合わせて地域固有の上演が単純化されたり、「伝統」として固定化されたりする場合もある。

日本の舞台芸術

の上演

日本の舞台芸術は、神事や祭礼、宮廷文化、寺社の芸能、武家社会、近世都市の興行、近代以降の劇場文化を背景として形成されてきた。神楽雅楽舞楽、能、狂言、歌舞伎、文楽、日本舞踊、民俗芸能、演芸という伝統的な形式に加え、明治時代以降には新派新劇、オペラ、バレエ、少女歌劇、ミュージカル、現代演劇、舞踏も展開した。

これらは一つの系譜から直線的に発展したものではない。宮廷や寺社で伝承された芸能、職業的な演者による劇場芸術、地域社会の祭礼で行われる民俗芸能、西洋由来の劇場制度を基盤とする近現代の舞台芸術が、それぞれ異なる歴史を持ちながら並存し、相互に影響を与えている。

特色と伝承

日本の伝統的な舞台芸術の一部では、長期間にわたって形成された演技、発声、演奏、身体運動の様式が、「型」やこれに類する技法として継承されている。ただし、型の内容や重要性、伝承の方法は芸能ごとに異なり、日本の舞台芸術すべてを一つの原理によって説明することはできない。

能では、身体の基本姿勢であるカマエ、足を滑らせるように歩くハコビ、感情や行為を表す型を組み合わせて演技が構成される[33]。歌舞伎では、同じ作品・同じ役であっても、演技や演出について複数の型が伝えられ、どの型を用いるかによって同じ場面でも演出上の効果が異なる[34]。見得は、動作を一時的に静止させて人物の感情の高まりを強調する様式的表現の一つである[35]

文楽では、物語を語る太夫、三味線弾き、人形遣いが専門的な役割を担い、相互に働きかけて一つの上演を構成する[36]。能楽でも、シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方に役割が分かれている[37]

舞台芸術の伝承には、台本、楽譜、型付、伝書、録音、映像という記録だけでなく、稽古や実演を通じた技術の習得が必要となる。伝承の単位には、家、流派、座、劇団、師弟関係、養成所がある。文化財保護制度では、演劇や音楽をはじめとする無形の文化的所産の本質を、人間によって体現される「わざ」として捉え、重要なものを重要無形文化財に指定するとともに、保持者・保持団体を認定している[38]

地域の祭礼や年中行事で伝承される民俗芸能は、人々の生活の推移を理解するための民俗文化財としても位置づけられる[39]。神楽、田楽、獅子舞、念仏踊、風流踊、盆踊りは、神社、寺院、道路、広場、民家を上演の場とし、祭礼、祈願、供養、娯楽と結び付いてきた。民俗芸能と職業的な劇場芸能は歴史的に完全に分離していたわけではないが、個々の成立事情は異なり、民俗芸能から劇場芸能へ一方向に発展したと捉えることはできない。

上演空間と舞台機構

日本の舞台芸術は、専用の劇場が成立する以前から、祭礼や神事が行われる野外の道から空地、庭、土間、座敷まで幅広い場所で演じられてきた。芸能が行われるこうした場所は「舞処」とも呼ばれた[40][41]。日常的な場所を一時的に上演空間とする形態から、仮設舞台、恒常的な専用舞台、近代的な劇場まで複数の形式が発達した。

一定の様式を備えた日本の舞台の早い例として、奈良・平安時代の舞楽舞台がある。舞楽舞台は、方形の高舞台の中央に舞人の演技領域となる敷舞台を設け、その周囲に高欄を巡らせる構造を持った。こうした舞楽舞台は、中世以降の舞台にも構造上の影響を与えたと考えられている[40][41]

田楽・猿楽から能・狂言が成立すると、本舞台、橋掛り、屋根、四本の柱、囃子座、地謡座を備える能舞台が徐々に定式化した。能舞台は客席へ張り出しており、観客は正面だけでなく側面からも上演を鑑賞する。楽屋と本舞台を結ぶ橋掛かりは、単なる通路ではなく、独自の時間と空間に属する演技空間として開発されたと評価されている[5]

初期の歌舞伎は、能の勧進興行で用いられた仮設施設や舞台構造を受け継いでいた。しかし、台詞と物語を重視する多幕物が発達すると、引幕、付舞台、花道を備えた独自の舞台へ変化した。江戸時代には、迫り、廻り舞台、すっぽん、がんどう返し、引割が考案され、登退場、場面転換、俳優の見せ場に活用された[40][41]。並木正三が1758年に考案した大劇場用の廻り舞台は、ヨーロッパの同種の機構に先行したものと位置づけられている[5]

明治時代以降は、プロセニアム・アーチを備えた額縁舞台が近代劇場に普及した。一方、1960年代後半以降の小劇場運動や前衛演劇では、張出し舞台、テント、街頭、地下空間を用いる上演も行われた[40]

歴史

古代・中世

古代には、神々への奉納を目的とする神楽と、大陸から伝来した伎楽、雅楽、舞楽が宮廷や寺院、寺社の祭礼で行われた。平安時代から鎌倉時代にかけては、田楽、猿楽、延年、白拍子が寺社の祭礼や宮廷、都市の興行で演じられた[40]

14世紀から15世紀にかけて、田楽・猿楽から能・狂言が成立した。能では、仮面、謡、囃子、舞、様式化された演技を組み合わせ、狂言では日常的な人物や滑稽な出来事を扱う対話的な演技が発達した。

近世

江戸時代初頭には、出雲阿国による歌舞伎踊を起点として歌舞伎が成立した。女性や若衆による歌舞伎が禁止された後は、成人男性がすべての役を演じる形式となり、女性役を専門とする女方の演技様式が形成された。歌舞伎は、演技、舞踊、音楽、衣装、化粧、舞台美術、舞台機構を組み合わせる都市の劇場芸術として発展した[41]

同じ時期には、太夫、三味線、人形遣いによって物語を上演する人形浄瑠璃が発達し、後の文楽へつながる上演伝統を形成した。都市の寄席や興行の場では、落語、講談、太神楽、奇術、音曲も発展した。

近代

明治時代以降、日本には西洋の戯曲、演技論、オペラ、器楽演奏、バレエ、劇場建築が本格的に移入された。従来の歌舞伎や寄席に加え、新派、新劇、少女歌劇という新たな上演形式が成立し、西洋由来の舞台芸術と既存の芸能とが相互に影響しながら展開した。

新派は、1888年に角藤定憲が大阪で始めた壮士芝居と、川上音二郎らによる書生芝居・新演劇を起点とする。初期には自由民権運動の政治的主張や同時代の事件を題材とし、その後は新聞小説や文芸作品を脚色する現代劇として発展した[42][43]

新劇は、西洋の近代戯曲と演劇運動の影響を受けて、明治末期以降に展開した。1906年に坪内逍遥らが設立した文芸協会を本格的な出発点の一つとし、自由劇場、築地小劇場の活動を経て発達した。戯曲を上演の基礎とし、演出家の指導のもとで俳優と舞台スタッフが協働する統一的な舞台表現が重視された[44]

大正時代には、若い女性のみが出演して歌、舞踊、芝居、ショーを演じる少女歌劇が成立した。少女歌劇は本格的なオペラとは異なり、音楽劇やレビューを中心とする日本独自の大衆的舞台形式として発達した[45][46]

小林一三が創設した宝塚少女歌劇養成会は、1914年に『ドンブラコ』を含む演目で第1回公演を行った[47][48]。宝塚歌劇団は、出演者の養成機関、専用劇場、組制度、スター制度を整備し、1927年の『モン・パリ』を契機として本格的なレビューを発展させた。宝塚歌劇の成功は、松竹歌劇団をはじめとする少女歌劇・レビュー劇団にも影響を与えた[45]

戦後・現代

第二次世界大戦後には、新劇団が翻訳劇や日本人作家の戯曲を上演した。一方、1960年代には、新劇の写実的な演技や固定化した劇団制度を批判し、身体、言語、舞台空間、観客との関係を再検討する小劇場運動が現れた。第一世代の小劇場演劇は、一般にアングラ演劇とも呼ばれる[49][50]。テント、街頭、野外、地下空間を用い、俳優の身体、言語、祝祭性、政治性、舞台美術を前面に押し出した[49]

1970年代から1980年代には、アングラ演劇の方法を受け継ぎながら、より幅広い小劇場演劇が展開した。娯楽性の高い作品や、作・演出家を中心とする劇団も注目され、劇団以外に、作品ごとに結成されるユニットやプロデュース公演も増加した[51]

舞踊では、土方巽と大野一雄らの活動から舞踏が成立した。土方が1959年に発表した『禁色』は、舞踏の嚆矢と位置づけられている[52][53]。舞踏は、既存のバレエやモダンダンスとは異なる身体表現を追求し、国外にも広がった。

商業演劇やミュージカルも発展し、海外作品の翻訳上演、日本で制作されたオリジナル作品、文学や映画を原作とする作品が上演されている。劇団四季は、ストレートプレイ、国内外のミュージカル、児童・家族向け作品をレパートリーとし、専用劇場や長期公演を軸とする上演制度を展開してきた[54]

20世紀末以降は、国や地方公共団体が設置する劇場・ホールも、作品の制作、上演、普及、人材育成を担うようになった。1997年に開場した新国立劇場は、オペラ、バレエ、ダンス、演劇の公演制作を行うほか、実演家の研修事業を実施している[55][56]

21世紀には、漫画、アニメ、ゲームを原作とする舞台作品も増加した。「2.5次元ミュージカル」は、二次元の作品を原作として、俳優の演技、歌唱、舞踊、衣装、舞台装置、映像によって三次元の舞台上に表現する作品群の呼称として用いられている[57]

文化財と継承

日本では、伝統的な舞台芸術や民俗芸能の一部が、重要無形文化財や重要無形民俗文化財として文化財保護制度の対象となっている。能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎は、ユネスコの無形文化遺産に登録されている[58][59][60]

舞台芸術の保護では、台本、楽譜、衣装、道具、劇場建築の資料だけでなく、演技、演奏、身体技法、製作技術、上演作法を担う人々と組織を維持する必要がある。伝統芸能では、実演者の養成、後継者の確保、定期的な上演、観客の育成が相互に関係する。国や関係機関は、伝承者養成、公開、道具・原材料の確保を支援している[38][61]

地域の民俗芸能では、人口減少、担い手の高齢化、祭礼の縮小が継承上の課題となる一方、学校教育、保存会、映像記録、公開公演を通じた新たな継承方法も試みられている。

制作・上演と制度

舞台芸術の上演は、実演者の活動だけでなく、作品の企画から稽古、舞台美術、技術、広報、劇場運営まで、多くの仕事の協働によって成立する。その制作体制、運営主体、財源、教育制度は、芸術分野、地域、時代、上演規模によって異なる。

制作と上演

舞台作品の制作には、俳優、歌手、演奏家、舞踊家の実演者に加え、劇作家、作曲家、振付家、演出家、指揮者、舞台美術家、衣装・照明・音響・映像の担当者、舞台監督、制作者が関わる。劇場公演では、営業、広報、票券、会計、施設管理の部門も上演を支える[62][63]

制作過程は芸術分野によって異なるが、一般には企画の立案、作品や上演権の確保、出演者・スタッフの選定、資金調達、稽古、舞台装置や衣装の製作、劇場での仕込み、技術稽古、本番、撤去までの工程を含む。既存作品を再演する場合でも、出演者、演出、上演場所、使用する舞台装置に応じて新たな制作と調整が必要となる。

舞台監督や技術スタッフは、芸術上の構想を安全かつ再現可能な上演へ具体化する。舞台機構、照明、音響、映像の設営と操作に加え、稽古から本番までの進行、出演者の登退場、場面転換、撤去を調整する[62]

組織と財源

舞台芸術を制作・上演する主体には、劇団、舞踊団、オーケストラ、歌劇団、制作会社、公共劇場、非営利団体、教育機関、地域の保存団体、個人の芸術家がある。専属の実演者やスタッフを継続的に雇用する団体がある一方、作品ごとに出演者とスタッフを集めるプロデュース公演や、期間限定の共同制作も行われる。

財源には、入場料、物品・映像商品の販売、配信、企業協賛、公的助成、民間財団の助成、寄付、会員制度がある。これらの組合せは国、分野、組織形態によって異なる。オーケストラの運営でも、団体が置かれた地域や制度環境に応じて、組織形態、財源、レパートリーが変わる[64]

日本では、日本芸術文化振興会が、芸術文化振興基金や国の補助金を通じて、音楽、舞踊、演劇、伝統芸能、大衆芸能の創造・公開活動を支援している[65]

劇場・音楽堂

舞台芸術の上演施設には、歌劇場、コンサートホール、演劇専用劇場、能楽堂、寄席、多目的ホール、野外劇場、小劇場がある。劇場の規模、舞台形式、音響、客席配置、舞台機構は、そこで行われる上演と観客の経験に影響を与える[6]

劇場には、外部の団体に施設を提供する貸館中心型、自ら作品を企画・制作する制作型、地域団体との連携を担う地域拠点型という運営形態がある[66]。実際には、貸館、自主制作、共同制作、招聘公演、教育普及を組み合わせて運営する施設も多い。

日本では、2012年に「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」が制定され、翌年には同法に基づく指針が告示された[67]。劇場・音楽堂等は、実演芸術の創造・発信、専門的人材の養成、教育普及、地域社会との連携を担う文化拠点として位置づけられている。

教育と人材育成

舞台芸術の技術は、専門教育機関、大学、劇団や劇場の研修所、師弟関係、地域共同体を通じて伝えられる。実演家の養成だけでなく、演出、振付、制作、舞台監督、舞台美術、照明、音響、衣装、劇場経営、広報を担う専門人材も必要となる。

大学では、芸術実践と学術研究を結び付ける研究創作の方法も発展しており、とくに音楽分野では、創作と研究の協働関係が論じられている[68]

新国立劇場には、オペラ歌手、バレエダンサー、俳優を養成する三つの研修所が置かれている[56]。また、日本芸術文化振興会は、歌舞伎、文楽、能楽、演芸の伝承者を育成する研修を実施している。劇場は完成した作品を上演するだけでなく、次世代の実演家や技術者を育てる場としても機能する。

記録・アーカイブとデジタル技術

舞台芸術は一定の時間と空間における実演として成立するため、台本、楽譜、振付譜、演出ノート、舞台美術図、衣装、ポスター、写真、録音、映像が、上演の内容と制作過程を後世へ伝える資料となる。

録音・映像は、上演を研究・教育・再演に利用する手段となる一方、カメラの位置、画面構成、編集、録音を通じて上演を再構成する。デジタル技術は、資料の保存・公開、公演の配信、映像投影や電子音響にも利用される。利用にあたっては、著作権、実演家の権利、契約、収録費用、配信期間、収益配分の処理が必要となる。

日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーは、国立劇場系施設の公演記録、収蔵資料、舞台写真、記録映像・録音、伝統芸能の教育用コンテンツを公開している[69]。EPADは、舞台芸術の映像と関連資料を収集・データベース化し、権利処理、上映・配信、収録技術の検証を行っている[70]

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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