パールケードの戦い
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戦闘とその後の経過
1728年2月、ニザーム王国の軍にプネー及びその周辺の地域を占領され、マラーター王シャーフーはプランダル城へと逃げた[1][2]。それと同時にバージー・ラーオはカルナータカ地方遠征から帰還し、ニザームの軍を迎撃した。
かくして、同月28日マラーター軍とニザーム軍はナーシク近郊の村パールケードで激突した。戦いはマラーター軍の勝利に終わり、ニザームの軍勢はこれに屈服した。 この勝利により、バージー・ラーオは対立するマラーター諸将を排することに成功し、王国の実権を掌握した[3]。
同年3月6日、マラーター王国とニザーム王国との間に講和が結ばれた[3]。これにより、マラーターはデカンにおけるチャウタとサルデーシュムキーをニザームに認めさせた[3]。