ヒュー・アンズリー (第5代アンズリー伯爵)

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1854年/1855年のヒュー・アンズリー

第5代アンズリー伯爵ヒュー・アンズリーHugh Annesley, 5th Earl Annesley1831年1月26日1908年12月15日)は、アイルランド貴族イギリス陸軍の軍人。軍人としてはコサ戦争英語版クリミア戦争に参戦し、その両方で負傷したことで30歳目前にして引退を余儀なくされた[1]。政治家としては保守党に属し、庶民院議員、アイルランド貴族代表議員を務めた[2]

第3代アンズリー伯爵ウィリアム・リチャード・アンズリー英語版と2人目の妻プリシラ・セシリア(Priscilla Cecilia、1808年9月8日 – 1891年3月29日、ヒュー・ムーアの娘)の息子として、1831年1月26日にダブリンラトランド・スクエア英語版で生まれた[2]イートン・カレッジを経てダブリン大学トリニティ・カレッジに進学、1851年にB.A.の学位を修得した[2]

1851年4月18日、第43歩兵連隊英語版エンサイン英語版(歩兵少尉)への辞令を購入して入隊した[3]。1851年から1853年までのコサ戦争英語版に参戦して負傷[2]、1853年7月29日に中尉に昇進した[4]。1853年10月21日にスコッツガーズの連隊少尉(陸軍における階級は中尉のまま)に転じ[5]クリミア戦争におけるアルマの戦い英語版(1854年9月)に参戦してあごを撃たれた[1]。1855年8月14日に連隊中尉および陸軍大尉に昇進[6]アイルランド総督の定員外のエー=ド=カン英語版(副官)に任命された[7]。1860年5月18日、連隊大尉および陸軍中佐に昇進した[8]。度重なる負傷により軍務を続けられず[1]、1871年2月に正式に引退した[9]

1857年イギリス総選挙キャバン県選挙区英語版から出馬、2,164票(得票数2位)を得て当選した[10]。その後、1859年1865年1868年の総選挙にて無投票で再選した[10]。アンズリー家はキャバン県に多くの領地を所有しており、キャバン県選挙区の議席を掌握していた[1]

議会では保守党に属したが[2]、政治への興味は少なく、数少ない議会演説も陸軍に関する議題がほとんどだった[1]アイルランド自治運動英語版の盛り上がりとともにキャバン県の有権者が急進化すると、アンズリーは政界引退を選び[1]1874年の総選挙をもって議員を退任した[10]

1874年8月10日に兄ウィリアム・リチャードが死去すると、アンズリー伯爵位を継承、1875年2月16日に正式に爵位継承を承認された[2]。1877年4月28日にアイルランド貴族代表議員に選出され、1908年に死去するまで務めた[11]

1883年時点でダウン県に24,350エーカーキャバン県に24,221エーカー、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)に2,489エーカーの領地を所有し、合計で年収約3万ポンドに相当した[2]

インフルエンザ罹患を経て、心不全により1908年12月15日にキャッスルウェランで死去、18日に同地で埋葬された[2]。1人目の妻との間の息子フランシス英語版が爵位を継承した[12]

人物

メイベル英語版は父を内気で陰気な人物と形容した[1]

園芸に興味を持ち、自身の雇っていた庭師トマス・ライアン(Thomas Ryan)の助力を借りてダウン県キャッスルウェラン英語版の地所にある庭園を造った[1]

外国産の木を収集したほか、アマチュアの写真家でもあり、イングランド王立農業協会英語版の主導で1903年に自身の庭園に植えた植物を撮影した『Beautiful and rare trees and shrubs』を出版した[1]

家族

出典

外部リンク

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