ヒロ湾
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歴史
ヒロ湾に面した村の古代ハワイ語の名前はワイアケアといった[1]。英国海軍ブロンド号(HMS Blonde)のチャールズ・ロバート・マルデンによって1825年に初期調査がされた後、ジョージ・バイロン船長(第7男爵バイロン)の名を取って「バイロンズ・ベイ」と呼ばれるようになり、湾の東側にあるサンゴ礁は「ブロンド・リーフ」と呼ばれている。湾を横切る最初の防波堤は、デルバート・メッガーとの契約の下、1908年に最初に建設された[2]。これは1911年に延長されて、1929年に完成し[3]、ヒロ港はこの突堤に囲まれた最奥(最南部)にある。小さな島モク・オラは、現在ココナツ島と呼ばれていて、古代には癒しが行われた場所であった[4]。
津波

ヒロ湾は「アメリカの津波の首都」と呼ばれることもある[5]。湾の地形は、チリやアリューシャン列島などの地震が活発な地域からの津波を、ヒロに引き起こしている[6]。1946年4月1日、1946年アリューシャン地震による津波により、ヒロ湾で96人が亡くなっている。 1960年5月23日、チリで発生した1960年バルディビア地震(これまでで最も強力な地震)に起因する津波により、ヒロで61人が亡くなっている。 2010年2月27日のチリ地震の後、ヒロ湾で太平洋津波警報センター(PTWC)のサイレンが鳴り、避難指示が出されたため、怪我人はいなかった。これにより、このセンターの有効性が示された[7]。
