1848年のフランクフルト国民議会では、プロイセンが支持する小ドイツ主義が大ドイツ主義を圧倒した。しかし未だ南部にはバイエルン、また最大の敵であるオーストリアなど、ドイツ統一の障害となる国が多くあった。ビスマルクは最終的にはこれらの国と矛を交えることになると判断、道路設備や新兵器の開発を行い、戦争準備に入った。また一方で、外部の障害、フランスを外交によって抑えることを考えた。
こうして、ナポレオン3世の休養地であったフランス南西部ビアリッツにて両者は会談し、条約を結んだ[2]。ビスマルクはライン川左岸のフランスへの割譲を仄めかし、フランスに統一戦争への中立を約させた[1]。