ビル・コーリン
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
ペンシルベニア州スクラントン |
| 生年月日 | 1878年7月12日 |
| 没年月日 | 1943年5月7日(64歳没) |
| 身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 140 lb =約63.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手 |
| 初出場 | 1899年8月9日 |
| 最終出場 | 1908年9月23日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ビル・コーリン(William Paul "Bill" Coughlin, 1878年7月12日 - 1943年5月7日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州スクラントン出身のプロ野球選手(三塁手)。右投げ右打ち。
ニックネームは"Scranton Bill"(スクラントン・ビル)。タイ・カッブがデビューした頃のタイガースの三塁手で、現在判っているだけで通算9度もの『隠し球』を成功させたとされる選手である。
1899年に、当時ナショナルリーグに所属していたワシントン・セネタース(同年解散)からメジャーリーグにデビュー、6試合に出場したが、8月にウェスタンリーグのカンザスシティに降格した。この年を最後にセネタースが消滅した後、1901年のアメリカンリーグ発足に伴って、アメリカンリーグのワシントン・セネタース(現ミネソタ・ツインズ)に所属、守備の上手い三塁手としてセネタースのレギュラーとなった。この年の刺殺数(三塁手)はリーグ最多となり、打率も.275の成績を残した。翌1902年には打率.301を記録しているが、打率が3割を超えたのはこの年だけであった。
1904年のシーズン中に、セネタースから金銭でタイガースに移籍し、1908年までタイガースに所属した。メジャーでのキャリアの最後の2シーズンにタイガースはアメリカンリーグを2連覇する。出場したワールドシリーズは2度ともシカゴ・カブスの前に敗退することとなったが、コーリンは1907年のワールドシリーズ第2戦で、相手カブスのジミー・スレイグルを隠し球でアウトにしている。これは現在までワールドシリーズで隠し球が成功した唯一の例とされている。
コーリンは1908年を最後にメジャーリーグから離れて地元ペンシルベニアに戻り、1917年までマイナーリーグの監督をしながら、ラファエット・カレッジ(Lafayette College)でもコーチとして野球の指導をしていた。第一次世界大戦を挟んだ後、コーリンは引き続き亡くなる1943年までラファエットのヘッドコーチの職にあった。死後1977年に同大学から名誉殿堂表彰を受けている。