ビーバー (アラスカ州)

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ビーバー

Beaver
Ts’aahudaaneekk’onh Denh
Location of Beaver, Alaska
Location of Beaver, Alaska
座標:北緯66度21分35秒 西経147度23分51秒 / 北緯66.35972度 西経147.39750度 / 66.35972; -147.39750座標: 北緯66度21分35秒 西経147度23分51秒 / 北緯66.35972度 西経147.39750度 / 66.35972; -147.39750
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アラスカ州の旗 アラスカ州
国勢調査地域 ユーコン・コユクック国勢調査地域
政府
  州上院議員 Click Bishop (R)
  州下院議員 Mike Cronk (R)
面積
  合計 21.0 mi2 (54.5 km2)
  陸地 20.5 mi2 (53.1 km2)
  水域 0.5 mi2 (1.4 km2)
人口
  合計 48人
  密度 2.3人/mi2 (0.88人/km2)
等時帯 UTC-9 (AKST)
  夏時間 UTC-8 (AKDT)
ZIP code
99724
市外局番 907
FIPS code 02-05750

ビーバー英語: Beaverコユコン語: Ts’aahudaaneekk’onh Denh)とは、アメリカ合衆国アラスカ州にある村・国勢調査指定地域である。

フォートユーコンの西、アラスカ州の中央部の森林地帯のユーコン川の岸沿いに位置する。面積は54.5平方キロメートル[1]、人口は48人(2020年国勢調査[2])。村民は主にイヌピアットエスキモーグウィッチンコユクックなどのアサバスカ語族系ネイティブ・アメリカンがほとんどで[2]ポトラッチと呼ばれる儀式も行われている。小型機が着陸出来るよう滑走路が敷かれている。他、1928年に建てたクルイックシャンクスクールという学校などがある。交易所や教会、1913年に作られた郵便局があり、教会の隣は墓地になっており、村の創設者フランク安田、ネビロ夫妻の墓もある。村民は主に自給自足で暮らしており、ムースサーモンなどを獲っている。連邦政府が認めたビーバー村のネイティブアメリカンのコミュニティとしてビーバービレッジ会議がある。

アラスカ州のゴールドラッシュ時の1907年日本人フランク安田とイヌピアック・エスキモーの妻ネビロと2名のエスキモーは鉱山師トマス・カーターと共に、金鉱を探しにバローから出発した。一行はワイズマンに行き、その後、フランク安田とネビロの2人はシャンダラー地域に行き、シャンダラー川で金を発見する。金の発見後、フランク安田はカーターに報告し、カーターはシャンダラー地域で金の取引ポストを始める。フランク安田は麻疹天然痘などで壊滅的打撃を受けたポイント・バロー(バロー岬)のイヌピアック・エスキモーが安住して暮らせる場所を探していた。カーターからユーコン川付近にはムースなど動物がいて狩猟も出来るし、シャンダラー金鉱の交通地点として良いと言われ、ユーコン川沿いにエスキモーの彼らのために村を作ろうと決める。友人のジョージ大島からユーコン川にはビーバーが生息していると聞き、フランク安田は村を作る際に、そのままビーバーと命名した。ビーバーが位置する場所にはエスキモーと対立する、アサバスカ語族のインディアンの居住地の近くだったため、フランク安田は、アサバスカ・インディアンと生活した事があり、アサバスカ語も話せるジョージ大島を通訳に、アサバスカ語族の首長と交渉に当たった。交渉に成功した後の1911年フランク安田はポイント・バローに戻り、妻のネビローやフランク安田夫妻に同調した数百人のエスキモー一団を連れ、ブルックス山脈を越え、ユーコン川沿いの村となるビーバーの場所に辿り着いた。フランク安田はその活躍から「ジャパニーズモーゼ」あるいは「アラスカのサンタクロース」などとも呼ばれた。辿り着いたエスキモー達はフランク安田が建てて置いた丸太小屋の家に落ち着いた。ビーバー村はカーターが経営するシャンダラー鉱山の交通拠点として川船に薪を供給し、エスキモーとインディアンの毛皮の取引した。1913年に郵便局が設立され、1920年代初期に第2の取引ポスト場が開かれた。1928年にフランク安田により学校が作られ、滑走路は1930年代に敷設された。エスキモーの他、インディアンや白人が入り込み、村はビーバーの毛皮取引で村は栄え、人口も300人を一時越えたが、村の存在に欠かせない存在であるフランク安田が1942年日系人捕虜強制収容に収容するため連行されると、ビーバー村の人口は若者を中心に激減し村は寂れていった。1950年代から1970年代の人口は比較的安定していた。1974年に、村民が家畜の株式を持ち、ビーバービレッジ議会は地元の店を購入し、協同組合が発足した。

出典

外部リンク

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