このピアノ協奏曲は、1949年に作曲された。この前年にプーランクは歌手のピエール・ベルナックと共にアメリカに演奏旅行に出かけ、その時にボストン交響楽団から作曲を委嘱された。
初演は1950年1月にプーランク自身のピアノ、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団で行なわれた。彼自身の日記によると、「巧く行なった。5回ほど呼び出されたが、純粋の熱狂というよりは、聴衆側の友情というものだった。熟考を施した寄せ集めである「ロンド・ア・ラ・フランセーズ」はいささかショックであったらしい。弾いているうちに、聴衆の間に興味が停滞して行くのに私は気づいた。このパリの音楽画、パシーのパリというよりは、ラ・バスティーユのパリの音楽画が、彼らを喜ばせるものであってほしいと私は望んでいた。しかし実際には、失望したのだと思う」と、かなり自己に厳しい感想が記されている。だがアンリ・エルの批評は、「ピアノはロマン派の協奏曲のような仰々しさを帯びていないし、また主題が伝統的な方法で展開されることもない。それは主題というよりは、旋律の協奏曲であり、それがこの曲の特質の一つなのである。」と、頗る好意的であった。