ピエールは1350年に騎士に叙され、ポワティエの戦いの後にフランス王ジャン2世と交換された人質の一人となり、1370年にようやくフランスに帰国した。ピエールは弟ロベールとともにイングランド軍と戦うためアキテーヌに遠征し、リモージュを占領したが、1371年にユソンで敗北を喫した。
1371年10月10日にボーモン=オー=メーヌ女子爵マリー・ド・シャマイヤールと結婚し、以下の子女をもうけた。
- マリー(1373年3月29日 - 1417年) - アルクール伯およびオマール伯ジャン7世と結婚
- ピエール(1374年 - 1375年)
- ジャン(1375年 - 1376年)
- マリー(1377年)
- ジャンヌ(1378年 - 1403年 アルジャンタン)
- カトリーヌ(1380年 - 1462年) - 1411年にアランソンでモルタン伯ピエール・デヴルーと結婚、1413年10月1日に上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世と再婚。
- マルグリット(1383年 - 1400年以降) - アルジャンタンの修道女
- ジャン1世(1385年 - 1415年)[1] - アランソン伯、のちアランソン公
その後、ピエールはブルターニュにおいてベルトラン・デュ・ゲクランの麾下で戦い、エンヌボンの手前で負傷した。
ピエールには庶子が1人いた。
- ピエール(1422年1月以降没) - ”アランソンの私生児”