ピエール・ブール
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アヴィニョンで生まれる。エンジニアとして、1936年から1939年まで英領マラヤにあるゴム園の監督者として働いた。
1939年に第二次世界大戦は始まるとフランス領インドシナ(仏印)のサイゴンでフランス軍に志願。しかし、ナチス・ドイツのフランス本国占領を受けてフランスが降伏。この間ブールは装甲車小隊の指揮官としてタイ国境に派遣される。1941年に入るとシンガポールに逃れてドイツとの抗戦を訴える自由フランスに加わっている。
現地でイギリス軍の基地で勤務し、連絡将校(少尉)となった。特別訓練を受けたのち、ピーター・ジョン・ルールという偽名で、イギリスの偽造旅券を携えてドイツの同盟国であった日本に対抗するため、橋の爆破、反乱扇動等の仏領インドシナでの任務に赴いた。しかし1942年、到着早々、ヴィシー政権側に付いていた仏印軍に捕えられる。その後反逆容疑で裁かれ、終身労働刑を言い渡された。しかし2年後、サイゴンからの脱出に成功。カルカッタでイギリスの特殊作戦執行部(SOE)の一部隊であるフォース136に合流した。
戦後、レジオンドヌール勲章、軍功章およびレジスタンスのメダルを受章した。戦後しばらくの間はマレーシアで農園の仕事を続けたが、その後パリに戻り、獄中日誌や小説を書き始めた。代表作で映画化もされた『戦場にかける橋』は仏印での経験を基に書かれたといわれている。
1994年1月30日、パリで死去した。81歳没。
主な作品
- 戦場にかける橋(『クワイ河の橋[1][2]』、Le Pont de la rivière Kwaï, 1952年)[3]
- 不合理の物語(Contes de l'absurde, 1953年) - 短編集[3]
- E=mc2(E=mc2, 1957年)[4]
- 猿の惑星(La Planète des singes, 1963年)
- 月への挑戦[5](初出版は『カナシマ博士の月の庭園』[6]、Le Jardin de Kanashima, 1964年)[7]
- クワイ河の水源にて(Aux sources de la rivière Kwaï, 1966年) - 回想録[8]
- 報道写真家(Le Photographe, 1967年)[9]
- ジャングルの耳(Oreilles de Jungle, 1972年)[10]