ピトケアン島
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| ピトケアン島 Pitcairn Island | |
|---|---|
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ピトケアン島の衛星画像 | |
| 所在地 |
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| 所在海域 | 太平洋 |
| 所属諸島 | ピトケアン諸島 |
| 座標 | 南緯25度4分0秒 西経130度6分24秒 / 南緯25.06667度 西経130.10667度座標: 南緯25度4分0秒 西経130度6分24秒 / 南緯25.06667度 西経130.10667度 |
| 面積 | 4.5 km² |
| 最高標高 | 346 m |
| 最高峰 | パワラ・バレー・リッジ |
| 人口 | 50 人(2020年7月推計[1]) |
| 最大都市 | アダムスタウン |
ピトケアン島(ピトケアンとう、Pitcairn Island)は、南太平洋に浮かぶ火山島。タヒチ島からは東南東に約2,170 km、パナマからは約6,600 km離れた孤島である[2]。イギリスの海外領土ピトケアン諸島の主島で、唯一の有人島である。すべての住民は島東部のアダムスタウンに居住している。
1767年7月、HMS スワローの乗組員ロバート・ピトケアンが発見した。島の名前は発見者に由来する。1789年にHMS バウンティで反乱(バウンティ号の反乱)を起こしたフレッチャー・クリスチャン率いる反乱者とタヒチ人の一団は定住先としてピトケアン島を選び、1790年1月15日にバウンティ湾に上陸した。一行はバウンティ号を解体し、ピトケアン島で新たな生活を始めた[3]。
1808年1月にアメリカ船トパーズ号がピトケアン諸島にやってきた時、バウンティ号の乗組員は水夫ジョン・アダムスのみであり、アダムスのほかの居住者は子供二十数名、ポリネシア人女性10名であった。
1838年にはイギリスがピトケアン諸島を海外領土とし、1856年には全島民をノーフォーク島(現在はオーストラリア領)に移住させたが、島民らは自らの意思でピトケアン島へ帰還している[4]。
現在の島民の多くはバウンティ号の反乱者とタヒチ人の子孫である[5]。
