ピラール・ローレンガー
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14歳で音楽を正式に学び始め、その後バルセロナ音楽院へ進み、マドリッドでソプラノ歌手のアンヘレス・オティンに、西ベルリン(当時)でディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの師でもあったメゾソプラノ歌手のヘルタ・クルストに師事した。1949年頃にサルスエラの劇場で合唱団に加わり、1950年、アルジェリアのオランでアマデオ・ヴィヴェスのオペラ『マルクサ』で主役を演じた。1951年にはサルスエラ『いちごのバスケット(原題:El canastillo de fresas)』で主役を務め、翌1952年にはブラームスの『ドイツ・レクイエム』、ベートーヴェンの『交響曲第9番』でソリストデビューを果たす。1955年、エクサンプロヴァンスに於ける『フィガロの結婚』のケルビーノを、その後コヴェントガーデンで『椿姫』のヴィオレッタを演じ、ゴイェスカスの演奏会形式による上演でアメリカデビューした。1956年から1960年まではグラインドボーン音楽祭に連続して招聘、南米でも1958年にブエノスアイレスのコロン劇場でトーマス・ビーチャムの指揮する『魔笛』のパミーナを演じた。1958年、ローレンガーは西ベルリン市立歌劇場と契約、1961年に同劇場がベルリン・ドイツ・オペラとして再出発した際、杮落とし公演のフェレンツ・フリッチャイ指揮『ドン・ジョヴァンニ』でドンナ・エルヴィラを演じ、1963年には宮廷歌手の銘を拝受している。以降西ベルリンはローレンガーの活動の中心地となり、終の住処となった。1966年から1982年の間にメトロポリタン歌劇場には150回出演、他にもザルツブルク音楽祭への出演やウィーン・ミラノ・パリ・ロンドン等の歌劇場に出演し国際的にその名声を馳せた。
1966年と1970年にベルリン・ドイツ・オペラと共に来日、『魔笛』のパミーナ、『椿姫』のヴィオレッタ、『ファルスタッフ』のアリーチェ、『ローエングリン』でエルザを演じ日本でも広く知られるようになる。1987年のベルリン・ドイツ・オペラに於けるジョーン・デューの新演出マイヤベーアの歌劇『ユグノー教徒』への出演を機会にステージからは遠ざかり、1991年にスペインのアストゥリアス州オヴィエドにあるカンポ・アモール劇場でのコンサートを最後に引退した。