1630年ころアントウェルペンで生まれたと考えられている。誰から版画を学んだかは知られていないが、1655年にアントウェルペンの聖ルカ組合の親方になった。アントウェルペンで出版業を始めたヒエロニムス・コックのために、当時フランドルで有名になっていた前の世代の画家や同時代の画家の作品をもとに多くの版画を制作した。
ファン・デル・ヘイデンが版画にした作品の作者にはヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲル、フランス・フロリス、ランベール・ロンバールらがいた。
ラテン語に訳した名前、「Peter Mercinus」からPMEのモノグラムをしばしば用いた。ファン・デル・ヘイデンが制作した版画の最後の日付が解っている作品は1672年のものである。