ピーテル・プルビュス

From Wikipedia, the free encyclopedia

ピーテル・プルビュス
Pieter Pourbus
プルビュス作「受胎告知」(1552) 、ブルッヘ聖母教会 (蔵)
生誕 1523年ころ
ゴーダ
死没 1584年1月30日
ブルッヘ
テンプレートを表示

ピーテル・プルビュス(Pieter Jansz. Pourbus、姓は Poerbus または Poerbusseとも、1523年ころ - 1584年1月30日)は、フランドルの画家である。宗教画や肖像画で知られる[1]。測量士、地図製作者でもあった。

ゴーダで生まれた。画家としての訓練をどこで受けたかは知られていないが、1540年ころにはブルッヘで働くようになり、ブルッヘの有力な画家ランスロット・ブロンデル(Lanceloot Blondeel: 1496-1561)の弟子になったとされる[2]。1543年にブルッヘの画家組合のメンバーになり、同じころの師匠ブロンデルの娘と結婚した。

ブロンデルとプルビュスはマニエリスムのスタイルの画家で、宗教画や肖像画を描いた。代表作にはグルーニング美術館に収蔵されている『最後の審判』(1551年)などがある。地図製作者および測量士としても働きブリュージュおよび周辺の地図も制作した。

息子のフランス・プルビュス(Frans Pourbus de Oudere:1545-1581)、孫のフランス・プルビュス(Frans Pourbus de Jongere:1569-1622)を教え、2人は優れた肖像画家になった。

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI