ファラオの処刑
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エジプトをはじめとするアラブ諸国は1973年10月6日、ソビエト連邦からの武器援助を受けて[1]イスラエルを奇襲し、いわゆる第四次中東戦争が始まった。第四次中東戦争は緒戦はアラブ諸国有利に進み、サーダート大統領は国民的英雄となった。しかし、次第にアメリカ合衆国の援助を受けたイスラエルに有利となった。
この戦争が一時的とはいえアラブ諸国有利に進んだこともあり、長年の間、常に軍事的優位に立っていたイスラエルが和平合意を希望するきっかけになったといわれる[1]。また、第四次中東戦争が原因となって世界的な石油価格の上昇、いわゆるオイルショックが発生し、アメリカ合衆国をはじめとする当時の先進国も戦争終結を希望した。和平交渉はエジプト側から模索されはじめ[1]、1977年11月19日にはサーダート大統領がイスラエルを訪問し、翌1978年にはアメリカ合衆国においてサーダート大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相との間でキャンプ・デービッド合意がなされ、翌1979年にはエジプト・イスラエル平和条約が結ばれた。この平和条約により、エジプトはアラブ諸国の中で初めてイスラエルを国家として正式に承認した。(次にイスラエルを正式承認するのは10年以上後の1994年のヨルダンであり、アラブ首長国連邦が国交正常化に合意するまでにはさらに26年を要している)。
これらの動きによってエジプトはアラブの裏切り者とみなされ[1]、アラブ諸国から国交断絶され、アラブ連盟、アラブ石油輸出国機構からも除名されることになった(1979年~1989年の間)。サーダート大統領は1981年10月6日の第四次中東戦争戦勝パレードにおいて、イスラム過激派組織「ジハード」のメンバーで[2]エジプト軍人のハリド・イスランブリに暗殺された。イスランブリは逮捕されて1982年4月に処刑された。