ファリチ
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ファリチ (ハンガリー語:[ˈfɒjs])、またはファイシュは、約950年から955年頃までのアールパード朝ハンガリー大公。彼に関する情報は、ビザンツ皇帝コンスタンティヌス7世ポルフィロゲニトゥスによって書かれた『De Administrando Imperio』にのみ由来する。他の同時代の資料や後のハンガリー年代記には彼の名前が残っておらず、彼がハンガリー部族連合の政治に積極的に関与しなかったことを示唆している。
ファリチはユトツァスの唯一知られている息子である、アールパードの三男であり、895年から907年頃にかけてカルパティア盆地征服の際にハンガリー部族連合を率いた。アルパードの死後、部族連合の政府に根本的な変化が起こった。その後も各部族は協力して襲撃を行うことは可能だったが、もはや強い中央権力には従わなくなった。
それでも歴史家ミクローシュ・モルナールが強調するように、「アールパード家の優越性は揺るがなかったようだ」と。例えば、コンスタンティノープルを訪れたハンガリー人、アールパードの孫テルマツスなどは、948年頃に皇帝コンスタンティノス7世に、ハンガリー人の「最初の首長」は「アルパード家の継承によって生まれる」と伝えた。 コンスタンティヌス7世はまた、ファリチが950年頃にハンガリー部族連合の長であったと記している。歴史家ジュラ・クリストは、955年のレヒフェルトの戦いでハンガリー軍がドイツ軍に壊滅的な敗北を喫した後、ファイシュが退位したとしている。
関連項目
参考文献
- Kristó & Makk 1996, pp. 18–22.
- Molnár 2001, p. 17.
- Curta 2006, p. 189.
- Engel 2001, p. 20.
- Kristó & Makk 1996, Appendix 1.
- Constantine Porphyrogenitus: De Administrando Imperio (ch. 40), p. 179.
- Kristó & Makk 1996, p. 23.
- Kordé 1994, p. 207.
- Kristó & Makk 1996, p. 22.
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